国境で読み解くヨーロッパ 境界の地理紀行(前半)

国境で読み解くヨーロッパ 境界の地理紀行 表紙

国境で読み解くヨーロッパ
境界の地理紀行
加賀美雅弘 著
朝倉書店 発行
2022年5月30日 初版第2刷

自分が経験した国境体験で印象に残っているのはストラスブール、ケール間の仏独国境と、バーゼルそばの三国国境でした。国境越えは独特の感慨がありますね。この本はヨーロッパあちこちの国境の状況を詳しく伝えてくれています。

はしがき
オランダの町パールレ ナッサウ
町の中にベルギーの領土がちりばめられている。
スロヴェニアクロアチアは地中海に面した土地をめぐってともに譲らす、地図に二本の国境が引かれている。
スペインとフランスの国境にあるフェザント島は半年ごとに統治が変わる。
リトアニアの首都ヴィルニュス市内にあるウジュビス共和国、主権国家ではないが、建国の日とされる4月1日だけ国境で検問が行われ、パスポートがないと入国できない。p1

 

1 ヨーロッパの国境の景観 地理学から見る国境の魅力
国境に特有の景観
・国境自体を示す景観
表示板、標識や標石、柵や壁
・国境の影響で現れた景観
軍事施設、行き止まりの道路、ショピングセンター、原発
・国境付近の少数民族集団の景観
彼らの言語による地名を併記した道路案内板

・国境を挟んで対比される景観

・ヨーロッパ特有の「国境らしくない景観」
人やモノが自由に越えられるEUの国境の景観

西ヨーロッパに比べ、東ヨーロッパは19世紀以降に引かれた比較的歴史の浅い国境が目立つ。

 

2 EUを象徴する国境を訪ねる(1) ドイツ・フランス国境
なぜアルザスが争奪の場になったのか
ライン川の水運が経済や軍事面で大きな役割を果たしてきた
アルザス語は言語学的にドイツ語の方言とされるため、統一国家ドイツを目指す上でアルザスはドイツの正当な領土とみなされた。

国境の町ケール
人口3万5000人
1678年 ルイ14世治世のフランスの領土になる
1683年 ストラスブールの橋頭堡としてヴォーバンの手で要塞化される
1815年 ドイツのバーデン大公国に加わる
1861年 ライン川に鉄道橋が架けられ、パリとウィーンを結ぶ直通列車がケールを通過する
1870年に始まる普仏戦争フランス軍による破壊を受けたのちにドイツ帝国の領土に入る
第一次世界大戦でドイツが負ける、再びフランスの占領を受ける
1930年 ドイツに返還される
1933年 ナチスによる再軍備が始まると対フランスの前線に置かれる
1936年 要塞線「ジークフリート線」が建設される。住民は疎開
1940年 ドイツによるフランス占領によりライン川が国境でなくなったため住民が自宅に戻る
1949年 西ドイツが成立
1953年 ケールが西ドイツに返還される
1957年 欧州共同体(EEC)が設立
1960年 ヨーロッパ橋が開通
1995年 シェンゲン協定により独仏間をパスポート無しで往来可能になる

 

ストラスブール中央駅
1889年、ドイツ帝国時代に建設
2007年 ファサードの前面にガラス張りの覆いがつくられる
TGVの乗り入れに伴い、ドイツとつながっていた過去を消したかったのでは、という邪推をしてしまう。

サンポール教会
もとは1897年に駐屯ドイツ軍のために建てられたプロテスタントの衛戍(えいじゅ)教会p27

 

3 EUを象徴する国境を訪ねる(2) ドイツ・フランス国境
コルマールフライブルク、ヌフブリザック

4 東西分断の国境を体験する 東西ドイツの国境跡
1984年、東ベルリン行きの観光ツアーに参加した著者
バスの中、ガイドが左側の五ヵ年計画で建てられた住宅を紹介する。
隣のドイツ人の男が、今度左側を見ろとガイドが言ったら右を見ろ、という。
その通りにすると、大戦で破壊されたままの廃墟が見えた。p59

 

5 変わりゆく国境の姿を描く ドイツ・チェコ国境
チェコの国境の町へプ。旧市街、町の中心に人がいない。なぜ?
・歴史ある個人商店のほとんどが社会主義時代に消えてしまった。郊外に大規模な住宅団地が造成された。東ヨーロッパ共通の問題。
・郊外に大型店がつくられたため
西ヨーロッパでは、郊外への大型店の進出は制限されている。

チェコの国境沿いにあるかつてのドイツ人の村の説明板
第二次世界大戦まではドイツ人の住む地域だったが、彼らが追放された後、廃村となっていた。
しかし最近記念碑や説明板が出来ている。