歴史紀行 ドーヴァー海峡(前半)

歴史紀行 ドーヴァー海峡(前半)
歴史紀行 ドーヴァー海峡
東潔 著
振学出版 発行
平成6年7月30日初版発行

少し前に「フランスが生んだロンドン、イギリスが作ったパリ」という本を読んだ流れで、図書館で偶然発見したこの本を借りて読みました。
1993年春、ドーヴァー海峡を挟んだ両岸(ノルマンディーと南イングランド)を二週間ほど車で走った記録とともに、両岸を舞台にした歴史的出来事を振り返っています。

 

序章 海峡王国の誕生
ノルマン・コンクェストによって、英仏海峡を挟んだフランスとイギリスにまたがる”海峡王国”の誕生。

ヴァイキングの出現は、ヨーロッパの人々にとって悪夢のような事件だった。
フランス初の女性首相となったエディット・クレッソンの強硬な対日批判は、日本のヨーロッパ進出を「ヴァイキング襲来」のイメージとだぶらせていたのではないか。
そう考えると、彼女の強硬発言は、実は悲鳴の裏返しのような気がする。何しろ、彼女の夫は自動車メーカー、プジョーの重役だった。p27-28

 

第1章 恩讐の海 ブルターニュ
ジャンヌ・ダルクの奇跡は、いってみれば「素人」(アマ)ゆえの破天荒さがもたらしたものだった。彼女の「志」を受け継ぎ、軍・政両面で組織を立て直し、精強になった軍を縦横自在に操り、対英戦を勝利に導いた「専門家」(プロ)がいたはずなのだ。
ブルターニュ公アルチュール・ド・リッシュモン(1393-1458)こそ、その人であった。p39

民族的自覚が端的にあらわれるのは「ことば」である。
イギリスは百年戦争の最中、1362年に公式の場で英語が復活する。議会が英語で開会を宣言し、法廷で訴えるときに英語を使ってもよいこととなった。
約300年ぶりである。p46

 

アーサー王物語といえば中世以来、ヨーロッパで最も人口に膾炙した英雄譚だが、ケルト人の嘗めた歴史の苦汁の中から生まれた伝説なのだ。 アルチュール・ド・リッシュモンはまさにケルト直系で、アルチュールは英語に直せばアーサー、つまり、伝説の英雄にちなんで名付けられたのである。p74

司馬遼太郞曰く「革命には三段階ある」
第一段階として思想家があらわれ
第二段階では革命家が思想家の理念を実行に移し
そして最後に実務家が革命の混乱を収拾して、新しい時代がはじまる。
思想家や革命家といった先駆者はたいてい非業の死を遂げる。
革命の果実を味わうのは実務家である。彼らは人生をまっとうし、現世での栄誉や栄達も受ける。このアンバランスを解消するために、後世は先駆者に対して様々な称賛を捧げるのだ。
リッシュモンはジャンヌダルクと違い、後にブルターニュ公となり、ナントの居城で大往生を遂げている。
リッシュモンは忘却の彼方に追いやられたが、ジャンヌダルクとともに「フランスの解放者」であることに変わりない。p82-83

 

第2章 戦争の海 ノルマンディー
フランスで国営企業が多いのは「コルベール主義」の伝統といわれている。
コルベール主義とは、17世紀、ルイ14世の下で財務総監をつとめたコルベールが、富国強兵と王室収入増大のために実施した重商主義をさす。
コルベールは補助金、税の減免、生産や販売の独占権付与など強力な国の保護と介入で経済の強化に努めた。p101

フランスは「エタ」(人工的な統治機構としての国家)が「ナシオン」(同じ民族、国民としての共同体意識を持った人間集団)よりも先にできた国といわれている。
同じような国としてアメリカ合衆国がある。p102