ドゥ・ゴール 佐藤賢一 著 (前半)

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ドゥ・ゴール 佐藤賢一 著 表紙

 

ドゥ・ゴール
佐藤賢一 著
平成31年4月26日 初版発行
(株)KADOKAWA 発行

今のウクライナ情勢を見てまず思い出したことは、第二次世界大戦でのナチスドイツに攻められたフランスでした。その時に亡命政権を作り抵抗したドゥ・ゴール(ドゴール)たちのことが気になりました。今までは書物や映画「ジャッカルの日」や「BON VOYAGE」で断片的には知っていたのですが、改めて一冊の伝記で彼の一生を通読したくなりました。
この本はドゥ・ゴールの激動の人生を分かりやすく書いてくれています。やはりフランスでは、ウェルキンゲトリックス(ヴェルサンジェトリックス)、ジャンヌダルク、ナポレオンと並ぶ英雄だなぁと思いました。
書名のドゥ・ゴールですが、こちらの方が実際のフランス語の発音に近いです。deを日本語では「ド」と表記していることが多いのですが、一文字でシンプルとはいえ、発音的には違和感がありました。この書名のようになるべくフランス語発音に近い方を表記してくれる方が、言語間の齟齬が少なくなり望ましいと思います。

 

第1章 反逆児
第一次大戦では大半を捕虜として過ごしたドゥ・ゴール。それでも五回も脱走を試みている。

ドゥ・ゴールはフランス史上の人物には珍しく、女性関係の醜聞とは無縁で通した。ナポレオンやミッテランも艶福家で、かえって月並みな感じがある。ドゥ・ゴールの潔白こそ類例がなく、むしろ秀でた印象だ。p30
(あとはマクロンさんくらいか・笑)

 

第2章 六月十八日
実際のところ、ペタンによる降伏の意思表明はフランスにおいて、必ずしも反感をもって受け止められたわけではなかった。フランスでは厭戦気分が強かった。勝ったとはいえ、死者百五十万人を出した第一次世界大戦は壮絶な戦いだった。あんな目に遭わされるなら負けた方がマシとする判断も、フランスにはありえたのだ。p67

1940年6月18日、ロンドンのBBCからフランスに向けて放送を行ったドゥ・ゴール。その時はまだ無名に等しかった。

「将軍、音声のテストをお願いします」
「フランス」
「完璧です。これで準備ができました」p70
(いかにもドゥ・ゴールらしいマイクテストですね)

 

第3章 自由フランス
ドゥ・ゴールの政権名 自由フランス(La France libre)

植民地を用いるドゥ・ゴールの作戦
北アフリカには多くを期待できなかったが、カメルーン、チャドなど、いわゆる「黒色アフリカ」はドゥ・ゴールの呼びかけに感触は悪くなかった。

第4章 戦うフランス
ジャン・ムーランの首の赤いスカーフ
1940年6月、占領のドイツ軍にドイツ兵の罪を擦り付けられるような声明文に署名を迫られるが拒否。拷問に負けて署名してしまうのを恐れ、ガラス片で喉を裂いて自殺未遂
占領されるとは、こういうことだ。軍政が敷かれるとは、こういうことだ。p117

 

第5章 フランス国民解放委員会
為政者は簡単に軍政を敷くというが、敷かれる方の国民にはひどい。要するに無防備で抵抗の術もないような人々を、武装の兵士が支配する。理由もない暴力が、日常的に加えられる。p161

マキ
元はコルス島の原生林のことだが、転じてフランス国内でも森や山林に潜んで、神出鬼没のゲリラ活動を行うレジスタンス運動の意味p164