100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む

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100年かけてやる仕事 中世ラテン語の辞書を編む 表紙

100年かけてやる仕事
中世ラテン語の辞書を編む
小倉孝保 著
2019年3月22日 第1刷発行
プレジデント社 発行

第Ⅰ章 羊皮紙のインク
中世ラテン語で書かれたマグナ・カルタ

英国で中世ラテン語の辞書づくりが始まったのは1913年
英国の知識人はそれ以前、1678年作成の『中世ラテン語辞典』を使用
フランス人ラテン語学者、デュ・カンジュにより編纂

第Ⅱ章 暗号解読器の部品 
英語の場合、面白いのはラテン語から直接影響を受けた言語とフランス語を経由したものがあり、そのため二つの言葉がよく似た意味で使われるケースがある。
secure ラテン語から直接英語
sure フランス語を経由
由来はラテン語のsecurus p37

 

第Ⅲ章 コスト削減圧力との戦い

第Ⅳ章 ラテン語の重要性
一般向けの中世ラテン語辞書がほとんど出ていない理由
・中世ラテン語には古典のような基準点がない。中世はその期間が長いため時代や地域によって文法、語彙、綴りが異なっている。今回英国がつくった中世ラテン語辞書は文献の対象を英国に限定し、期間をはっきり区切った。
・教育課程の問題。教育的需要がない 

第Ⅴ章 時代的背景
『英国古文献における中世ラテン語辞書』の対象となったのは6世紀中旬から17世紀初頭までの文献。
主なテーマには国家や都市の歴史、法律、税務記録、科学や哲学の発表、詩など p104

 

第Ⅵ章 学士院の威信をかけて

第Ⅶ章 偉人、奇人、狂人
国際社会において英語が確固たる地位を築いたのはここ二百年にすぎない。
1066年イングランドがノルマン人に征服される。ノルマン王族はフランス語を話していた。そのためイングランドでは支配層はフランス語、一般市民は英語を使うという言語の二重構造が出来上がった。さらに知識層は書き言葉としてラテン語を使用していた。

英国の辞書の父、サミュエル・ジョンソン(1709~1784)
彼の英語辞典に見え隠れする遊びの精神は『新明解国語辞典』(三省堂)に影響しているように思われる。

OEDの目的は、その言語の意味を知ることよりも、その言語が使われてきた歴史的背景を知ることにある。p161

 

第Ⅷ章 ケルト文献プロジェクト 
『英国古文献における中世ラテン語辞書』の兄弟プロジェクトである『ケルト古文献における中世ラテン語辞書』

「イングリッシュ」とはあくまでイングランド人を示し、「ブリティッシュ」には「ブリテンの人々」「ブリテン語を話す人々」という意味がある。つまりケルト系民族を含む言葉p172

言語はその地理的要因に強い影響を受けるという。 
ローマ地域には沼地が少なかったため、アイルランドの人々は沼地を表すラテン語を自分たちでつくる必要があった。
またローマの中心は地中海で内海であるため潮位の変化が緩やかであるため、古典ラテン語には潮位を表す言葉が1つしかなかった。それに対し大西洋など外海に面したケルト人は潮位の変化を表現するため自ら言葉をつくる必要に迫られた。p178

ケルトの辞書の方はプロジェクトが遅れてスタートしたため、ケルト古文献をすべてコンピューターでデータベース化し、そこからコンピューターが言語を探してくる。

 

第Ⅸ章 日本社会と辞書
日本の辞書の歴史は古い
平安時代の830年以降にできたとされる『篆隷万象名義』
空海が編集、漢字の説明書という側面が強い
930年代に生まれた『和名類聚抄』
中国語・漢語の理解を最大の目的とする。

中世の人文主義者、ソールズベリーのジョンはラテン語の自著『メタロギコン』の中で、12世紀のシャルトル学派総帥、ベルナールの言葉を孫引きするかたちでこう記している。
〈私たちは巨人の肩の上に乗る小人のようなものだとシャルトルのベルナールはよく言った。私たちが彼らよりもよく、また遠くまでを見ることができるのは、私たち自身に優れた視力があるからでもなく、ほかの優れた身体的特徴があるからでもなく、ただ彼らの巨大さによって私たちが高く引き上げられているからなのだと〉p252-253

「巨人の肩の上に立つ」ためにも先人たちの成し遂げた業績を理解する必要がある。英国人の中世ラテン語辞書にかける思いは決して過去の言葉を固めるためだけではなかった。人々が前に向かって進むために必要だったのだ。p256

第Ⅹ章 辞書の完成
「英国古文献における中世ラテン語辞書」プロジェクトは2014年9月に終了。辞書自体はその前年末に完成。