椿井文書
日本最大級の偽文書
馬部隆弘 著
2020年6月5日 3版
中公新書 2584
椿井文書
山城国相楽郡椿井村(京都府木津川市)出身の椿井政隆(権之助。1770~1837)が、依頼者の求めに応じて偽作した文書の総称。
中世の年号が記された文書を近世に写したという体裁をとることが多いため、見た目には新しいが、内容は中世のものだと信じ込まれてしまう。
第一章 椿井文書とは何か
現在の歴史学は、時代ごとの棲み分けがかなりはっきりしている。p3
近世や近代にその地域で起こっていたことを気にしないまま、古代や中世を直視してしまう。あるいは、地域に残された文書群を見ることなく、古代や中世の活字史料に頼ってしまう。P4
第2章 どのように作成されたか
未来年号
絵図に明応元年(1492)四月の作とされるが、明応改元は七月のことなので、四月はまだ延徳四年である。
偽文書と判断する際の一つの目安
椿井文書では未来年号となっている例が極めて多い。
椿井はあえて偽文書を完璧なものとしないようにしている。
戯れで作ったと言い逃れできるように予防しているのか?p40-41
第3章 どのように流布したか
椿井はなぜ都市部を避けたのか
知識人層の厚い都市部を避けることで、偽作の露見を極力回避したのではないか。
椿井が偽文書を譲るにあたって、金銭の授受をしていたことはおよそ想像がつくが、確実な証拠が残るのは現在のところ一例のみ。
その代金は五両なので、現在の金額に換算して五十万強といったところであろうかp104
椿井文書が広く定着した原因
質入れ先の今井家という、いわば第三者が販売することにより、椿井政隆の集めた古文書が地元に戻ってきたという扱いを受けた。
椿井政隆自身が頒布する場合とは異なり、ある程度の信憑性を帯びながら流布した。p110
第4章 受け入れられた思想的背景
大量の椿井文書が椿井家に残された状況に鑑みると、即売を前提としていないものも多く存在したよう。
一般に受け入れやすい筋書を創る一方で、見る人が見ればわかる虚偽も含ませるという二面性を有するのも椿井文書の特徴。
椿井の偽文書創作は趣味と実益を兼ねたものであったが、彼個人は前者に重きを置いていたのでは?p129
並河誠所により編纂された『五畿内志』
その虚飾を批判する三浦蘭阪
しかしながら真っ当な批判に対して社会はあまり聞く耳を持たないという構図
『五畿内志』の擁護が名所づくりと一体になっている一方、いかに合理的に批判しても、何ら利益が生まれない。
第5章 椿井文書がもたらした影響
並河誠所にその価値を見出だされた伝王仁墓
現在も王仁墓の史跡指定は解除されていない
並河誠所による『五畿内志』の安易な一文と、それを補完しようとする椿井文書が相互に補完することで成立した極めて危うい説ではあるものの、真正な古文書として一度利用されてしまったがために、払拭することができない。p175
第6章 椿井文書に対する研究者の視線
古文書学の鍛練を多少積んでいれば、椿井文書の現物を見れば偽文書とだいたい気づく。
しかし、これがいったん活字になると、偽文書の醸し出す雰囲気が大きく損なわれてしまう。
しかも、自治体史というかたちで公的機関の刊行物に掲載されると、なおさら疑う余地がなくなっていく。p194
椿井文書が偽文書だと指摘されると、なぜ並々ならぬ努力を費やしてまでそれを否定しなければならないのかということである。
椿井が最も力を注いだ京田辺市ではそういう人々が多い。
椿井文書を否定することは、その地域のアイデンティティーを否定することになってしまっている。
終章 偽史との向き合いかた
怪しげな偽りの「伝承」が定着する過程
・定着した偽史は町おこしに使われる
・素人目にもわかりやすい、それらしい根拠がある
・大半の研究者は黙殺するが、一部の研究者が拾いあげる
・後戻りしがたい道程を突き進む