ストラスブールのレプュブリック(共和国)広場

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ストラスブールのレプュブリック広場に咲くモクレンの花
画像はモクレンの花が咲き誇るストラスブールのレプュブリック広場です。
以前この広場の記事を書いた時には、現地で購入した日本語観光冊子の訳にならい「連邦広場」としたのですが、それは誤りで「共和国広場」と訳すのが正しいようです。
この広場は1881年に整備されました。この時はドイツ支配時で「皇帝広場」と名付けられ、皇帝ヴィルヘルム一世の騎馬像が据えられました。
その後第一次世界大戦が終わると、領有の変更とともに1918年、共和国広場と呼び名が変えられます。
そして1936年、皇帝の騎馬像は撤去され、画像の真ん中にあるような戦没者慰霊碑が据えられます。
この石像はドゥリヴィエというフランス人彫刻家により制作されました。
母が二人の瀕死の息子を膝の上に抱きかかえているのですが、母がストラスブールを表し、西を向いた息子がフランス、東を向いた息子がドイツを表しているそうです。
しかしこの慰霊碑の願いもむなしく、今度はナチスに蹂躙され、1940年には「ビスマルク広場」と改称されます。
そしてフランスの帰属に戻った後、1945年に再び「共和国広場」に戻されました。
広場の名前ひとつとってみても、アルザスの複雑な歴史が伺えます。

石像の向こう、更に延長線上には、大聖堂の姿が確認できます。
最初は広場の近くにあり、尖塔が印象的なサン・ポール教会かなと思ったのですが、よく見るとノートルダム大聖堂でした。
今のように大変な時代でも、春になると花は咲き乱れます。
そして慰霊碑は変わらず鎮座し、大聖堂は遥か天を目指して、しっかりそびえ立っています。

(物語 ストラスブールの歴史 中公新書 を参考にしました)