世界地図が語る 12の歴史物語(序章~第4章)

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世界地図が語る 12の歴史物語

A History of the World in Twelve Maps

ジェリー・ブロトン 著

西澤正明 訳

バジリコ(株) 発行

2015年10月1日 初版第1刷発行

 

この本では、世界史における文化と時代の中から12点の世界地図を取り上げ、認識や抽象化から縮尺、遠近法、方位および投影に至るまで、地図製作者が直面した問題の解決を試みた創造の過程を精査しています。

 

序章

シッパル(現イラク南部、テル・アブ・ハッバ遺跡) 紀元前6世紀

1881年に発見された楔形文字が刻まれた2500年前の粘土板小片

現在、この粘土板は「古代バビロニアの世界地図」として人類史上初の世界地図として知られている。

 

第1章 科学

プトレマイオスの「地理学」 紀元150年頃

 

紀元150年頃、天文学者クラウディオス・プトレマイオスは、のちに「地理学」として知られるようになる「地理学への手引」と題する著作を執筆した。

 

プトレマイオス以前の人々は、万物の創造を説明する宇宙の起源を理解するために地理学を利用した。

プトレマイオスは「地理学」の中でこのような探求に背を向けた。

彼の著作に神話が登場することはなく、政治的な境界線や民族誌学についてもほとんど記されていない。

その代わりに、アレクサンドリアにおける学問の普遍的な二つの原理であるユークリッド幾何学カリマコス書誌学的分類方法に、地理学の原点を見出した。p63

 

第2章 交流

アル=イドリーシー 1154年

 

1154年、シチリア王のルッジェーロ2世は58歳の生涯を終える。

それとともに、シチリア島における、一つの法の下でのキリスト教徒、イスラム教徒、およびユダヤ教徒の平和的共存の時代は終わりを告げた。

誰よりもその死を悼んだのは親しい友人の一人であった、アル=シャリーフ・アル=イドリーシー。

彼はその死の数週間前、ルッジェーロの命を受けて以来十数年にわたり執筆を続けてきた地理概説書をついに完成させたところだった。

この書は既知の世界の概要を包括的に記し、70点に及ぶ世界の地域図と小版であるが美しく彩飾された一点の世界地図によって図解したものだった。

これはアラビア語による著作で、「世界各地を深く知ることを望む者の慰めの書」と呼ばれた。

 

この地図で最も驚くのは、南を上にして描かれている点である。

7、8世紀に急速に拡大したイスラム教に改宗した共同体の多くはメッカの真北に位置していたため、南を礼拝の方向とした。

その結果アル=イドリーシーの地図を含め、イスラム教徒の世界地図の多くは南を上にして描かれた。

一方、15世紀まではキリスト教徒の世界地図は、ほとんどすべてが東を上にして描かれていた。

西を上にする地図の伝統は事実上皆無

北を上にするのはビザンツや中国。

中国は南からは皇帝の広大な領土を横切って、陽光と温かな風が運び込まれるため、南は皇帝が臣下を見下ろす方角となった。

服従の位置から皇帝を見上げるときは、誰もが結果的に北を向くことになる。

語源的に、中国語の「背」は「北」と同義であるが、これは皇帝の背中が北に面していたからである。p71-73

(日本でも「北面の武士」といいますね)

 

第3章 信仰

ヘレフォードの世界地図(マッパムンディ) 1300年頃

 

イングランドウェールズの境界に位置する門前町ヘレフォード

そこの大聖堂の別館に保存されているマッパムンディ

地図製作史上最も重要な地図の一つであり、800年近くにわたり原型を保ったまま残っているものとしては最大

13世紀のキリスト教徒の目に映った百科事典的な世界像で、中世キリスト教世界における信仰を、神学、宇宙論、哲学、政治、歴史、民族誌学などの視点からとらえて描写したものといえる。

 

ヘレフォード図は、地球とその起源に関するギリシャ・ローマ的な観念と、新しい一神教としてのキリスト教の信仰および世界を創造し人類に永遠の救済を約束した神性に対する信念との間での、数世紀に及ぶ対立と段階的な適応から生まれたマッパムンディの古典的な一例である。p114

 

ヘレフォードのマッパムンディの最も重要な特徴は、各々の場所が具体的なキリスト教の事象に関連し、互いに隣接している点にある。

地理学的な空間ではなく、特定の場所に関連する宗教史によって形作られた地図である。

天地創造、人間の堕落、キリストの生涯、黙示録を、キリスト教の歴史に沿って上から下まで垂直に展開する図像で示したもので、これによって信者は自らの魂の救済の可能性を理解することが出来た。p133

 

第4章 帝国

混一疆理歴代国都之図 1402年頃

 

疆理図と略称されるこの地図は現存する東アジアの地図としては最古のもので、中国や日本の地図よりも古く、地図製作法に基づいて描かれた最初の朝鮮半島の地図であり、ヨーロッパまで描かれた最古アジア地図である。

 

宋王朝時代の1136年、禹王の伝説的な功績に基づいて作られた「禹跡図」

同時代の地図製作能力がどれほど西洋に先んじていたかを示す地図

80センチメートル角の石碑に刻まれたもので、現在は陝西省の首都西安の公立学校の中庭に立てられている。p160