世界地図が語る12の歴史物語(第9章~第12章)

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カッシニ図からフランス全土

第9章 国民

カッシニ一族、フランスの地図 1793年

 

カッシニ図は、三角測量と測地学に基づいて国全体を測量して地図に描く最初の試みだった。

その後200年にわたり、あらゆる近代国家の地図製作のひな形を提供するものだった。

1793年の革命時の布告により、この私的な地図製作プロジェクトが国のものになることを意味した。

 

カッシニの地図には同一の標準的な表現法と記号が使われた。

そして、都市や街や集落などの表記にはパリ市民のフランス語だけが使われた。

つまり、地理学の標準化は言語も統一したのである。

18世紀のフランスでは、国王の臣下はオック語バスク語ブルトン語などから様々な方言に至るまで多様な言語を使っていた。p391

 

カッシニ図は地図製作史上に例のない大きな進歩だった。

測地学的および地理学的な測定に基づいて、一つの国をすべて地図に表すのに「何をすべきで何をしてはならないかを世界中に示した」最初の例であった。

 

第10章 地政学

ハルフォード・マッキンダー「歴史の地理学的な回転軸」 1904年

 

カッシニ図の後、1820年から30年代にかけては、地理学と地図製作における歴史的転換期であった。

軍事的、法的な統治に有効で、国民同一性の精神を育んだ。また経済界においても、不動産計画図、税地図、囲い込み計画図、運河や鉄道などの輸送機関地図、街や教区の計画図などが盛んに作られた。

 

また地図の体裁においても、銅板彫刻から石版印刷が1796年に発見された。

これにより地図の質と量が飛躍的に進歩した。p407-408

 

英国人研究者ハルフォード・マッキンダー

独力で英国の地理学研究を変えただけでなく、全く新たな手法である地政学を作り上げた。

 

マッキンダーの「歴史の地理学的な回転軸」で使われた「自然地理学的な勢力配置」を示す世界地図

これはのちに「地政学における最も有名な地図」と呼ばれるようになる。

第1の領域は回転軸領域。ロシアと中央アジアの大部分

この領域の外側には二つ三つの三日月地帯が同心円状に広がる。

第1の「内側ないし辺縁の三日月地帯は大陸と海洋にまたがり、ヨーロッパ、北アフリカ、中東およびインドの一部からなる。

「外側ないし島状の三日月地帯」は主として海洋に位置し、日本、オーストラリア、カナダ、北アフリカ南アメリカ、英国を含む。

 

第11章 平等 

ペータース図法 1973年

 

アポロ17号による地球の写真の公表から半年も経たないうちに、政治的に偏りのある20世紀の地図製作作法に背を向け、すべての国々を平等を約束する世界像を示すと主張する世界地図がドイツで公表された。

1973年5月、ドイツの歴史家アルノ・ペーターズによる発表である。

 

ペータース図法自体は、一世紀以上前、スコットランド福音派牧師ジェームズ・ゴールによって発明されたものだった。p472

 

第12章 情報 

Google Earth 2012年

 

グーグルは金を儲けるためグーグルアースを立ち上げたのではない、というのでは全くの筋違いである。グーグルは収益を上げている実在の企業である。p516

 

1891年、ドイツの地形学者アルブレイト・ペンクに提唱された、国際図(IMW)と呼ばれる統一的な世界地図の製作プロジェクト

国連は1960年代にIMWを復活させようとしたが、ほとんど効果はなかった。

現代でも仮想オンライン世界地図を統一する夢は不可能だと認めている。

理由は単純。

国際図が脱却しようとした国家や地域及び言語の多様性を、彼らは維持することを望んでいるからである。