世界地図が語る12の歴史物語(第5章~第8章)

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1569年にメルカトルが作成した地図


第5章 発見

マルティン・ヴァルトゼーミュラーの世界全図 1507年

 

アメリカのという名称が初めて使用されたこの世界全図

アメリカの出生証明書

 

16世紀になって一般的になった浮き彫り木版印刷技法で行われる。

ストラスブールの印刷工が直面した様々な問題

巨大な地図の図案を木版に転写する方法において、元の地図は切り刻まれてしまい、現物は残らなくなってしまう。

 

印刷によって、多くの地図に対する考え方をすっかり変えてしまった。

・地図や書籍の正確な再現性、標準化、保存の可能性を高める

著作権侵害、偽造、誤植といった懸念

・印刷工、植字工、組版工、編集者などの経済的な利害関係を生み出す。p222

 

第6章 グローバリズム

ディオゴ・リベイロの世界地図 1529年

 

1494年6月7日に調印されたトルデシリャス条約

北極から南極まで、大洋上に境界となる直線を画定する。

その西側をカスティーリヤの支配下に入り、東側はポルトガルのものとなる条約

 

マゼランが参考にしたヨーロッパ最古の地球儀。1492年、マルティン・ベハイムによって作られる。

その地球儀が見積もったポルトガルから中国沿岸までの距離は、実際の半分ほどしかなかった。

この判断ミスが、マゼランと同行の乗組員に悲運をもたらす。

 

マゼラン探検隊の生存者が帰還。西を目指して進むことで、東から帰還した。

モルッカ諸島をめぐるカスティーリヤとポルトガルの争い

1529年のサラゴサ条約の締結で、新たな線引きがされる。

その条約が最終的に批准するときに完成されたリベイロの世界地図

 

 

 

第7章 寛容

ゲラルドゥス・メルカトルの世界地図 1569年

 

地図製作の歴史でよくしられているメルカトル

メルカトルは宇宙誌学者、地理学者、哲学者、数学者、科学機器製作者、彫版師であり、

有名な地図投影法を発明し、アトラスと名付けた世界初の地図帳も考案している。

木版による地図製作に代わって、銅版による地図彫版技術を採用p266

 

宇宙誌学と地理学における創造の起源の探究

16世紀中頃には、このような問題に取り組むものは、対立する二つの宗派(カトリック派とルター派)のいずれにおいても聖職者の逆鱗に触れる恐れがあった。p268

 

メルカトルが影響を受けた三人

修道士から地理学と宇宙誌学との境界領域の学問的研究と信仰生活が両立することを学び

数学者からは正確な宇宙誌学を追求するために数学と幾何学の習得が欠かせないことを学び

金細工職人からは最新の設計による地図製作、地球儀の構築、器具類をかたちにするのに必要な技術を学ぶ。p272-273

 

メルカトルの「クロノロジア」

1569年出版

バビロニアヘブライギリシャ、ローマの膨大な資料を用いて、聖書に沿って理路整然とした歴史を提示することを試みた。

 

第8章 マネー

ヨアン・ブラウの「大地図帳」 1662年

 

アムステルダム市庁舎の床に埋め込まれた三点の半球図

それは1648年に作成された、ブラウ世界地図に基づいて制作された。

その世界地図は、オランダ共和国の独立を祝い、世界を目指す東インド会社の野心的な試みをたたえるために制作された。

 

1662年出版の「大地図帳またはブラウの宇宙誌学」

初版はラテン語で書かれた3368ページを含む11巻に及び、21点の口絵、594点もの膨大な地図を加えると、総ページ数は4608ページにもなった。