播磨ものがたり より 家島の浪花節語りについて

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播磨ものがたり
池内紀 著
1997年10月3日 第1刷発行
神戸新聞総合出版センター

ドイツ文学者として知られている池内さんが、播磨のあちこちの歴史を「バリカン先生」や美術史専攻の女子学生と訪ね歩く、という形式で書いています。

P60 なにがなにして
浪曲師の雲井不如帰の弟子、雲井不二夫、克明な巡業旅日記を残す。
その昭和4年?11月3日、
「フネ エシマ 弁天 不如帰カエラ
なにがなにして なんとやら
ものがものして ものとなる
なにからなにまで なんとやら」
という日記を残す
この「エシマ」というのは、家島のことではないかと、推測するバリカン先生たち

真浦の港あたりから、尾崎鼻のあたりの方に向かったように書いてあり、そこの神社の参道脇の草むらにあった石の灯籠に「雲井不二夫改め 白波七之丞」という寄進者の名前が書かれているのを発見する。

(今の家島しか知らない自分にとって、どうも腑に落ちないところが多かった。尾崎鼻のあたりには神社が無いように思える。もう一つの天神鼻の方と間違えられたのかもしれない。
また家島全体で弁天というと、坊勢島の弁天島の方を思い出してしまう。家島には弁天町(カンゴエ町)があると書いてあるが、どこにあるのか分からない。そして浪花節との関連も不明。
更には漁業組合や郵便局やスーパーが並んでいるところもよくわからない。
とにかくごちゃごちゃ考えているより、地元のお年寄りに話を聞いたり、実際に訪問したくてしょうがなくなってきました・笑)