瀬戸内の海賊 村上武吉の戦い

イメージ 1

瀬戸内の海賊 村上武吉の戦い(増補改訂版)
山内 譲 著
2015年10月25日 発行
新潮社 発行

この本はルイス・フロイスから「日本最大の海賊」と呼ばれた村上武吉を中心に、日本の海賊の姿を追っています。
能島村上家の成立から、信長・秀吉との戦い、そして海賊禁止令に至るまでの流れを中心につづっています。
更にしまなみ海道を中心に海賊の世界を巡る案内や、著者の山内さんと「村上海賊の娘」の著者和田竜さんとの対談まで掲載されています。

海賊とは四つの顔を持っている
1 海上輸送に携わる人を襲って金品を奪う、略奪者としての海賊。土着的海賊
2 荘園領主や国家権力に抵抗する者としての海賊。政治的海賊
3 航海の安全保障者としての海賊
4 権力の側や、戦国大名の下での水軍としての海賊

海賊は、海上交通の要衝にして海の難所であるような海域の傍らに城郭を築いて活動の拠点とした。それは周囲1キロメートル前後の小さな島全体を要塞化している。
その島だけなら防御性が脆弱なのかもしれないが、周りの海面自体が防御施設なのである。海面が土塁であり、潮流が堀なのだ。

芸予諸島能島村上氏をはじめとする瀬戸内の有力な海賊衆の生まれ育つ場となった理由
1 海上交通の要衝と難所が混在するところだった
2 豊かな海産物の産地であり、その海産物の輸送に端を発して海運業が発達したところだった
3 大名権力の境界領域だった

1180年の高倉院の御幸の場合は、京都から高砂まで陸路で、そこから海路で、厳島まで8日を要している。
後年秀吉が島津攻めや文禄の役に際して九州へ下向したときは、厳島まで陸路で20日を要している。
天候に左右されやすいとは言え、船旅がいかに時間短縮に有効な交通手段であったかわかる。

キリスト教宣教師の記録において、海賊の平時の姿を伝える資料が残されている。
イエズス会の司祭ルイス・フロイスなど、布教のために九州と畿内の間の瀬戸内海を航行しており、その際の脅威の一つが海賊だった。