陰翳礼讃 谷崎潤一郎 著

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陰翳礼讃
2014年9月25日 改版28刷発行
中公文庫

昭和6年から昭和23年までに発表された随筆集です
陰翳礼讃・恋愛及び色情・客ぎらいなどの作品が収録されています。

西洋の寺院のゴシック建築と云うものは屋根が高く高く尖って、その先が天に冲せんとしているところに美観が存するのだという。これに反して、われわれの国の伽藍では建物の上にまず大きな甍を伏せて、その庇が作り出す深い廣い蔭の中へ全体の構造を取り込んでしまう。
寺院のみならず、宮殿でも、庶民の住宅でも、外から見て最も目立つのは、或る場合には瓦葺き、或る場合には茅葺きの大きな屋根と、その庇の下にただよう濃い闇である。
(・・・)
暗い部屋に住むことを余儀なくされたわれわれの祖先は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。

浮世絵の美は西洋人に依って発見され、世界に紹介されたもので、西洋人が騒ぎ出すまでは、われわれ日本人は自分の有するこの誇るべき藝術の価値を知らなかったと云う話を聞く。(・・・)
しかし正直に云ってしまうと、「恋愛」や「人事」でなければ藝術にならないと考える彼等には、浮世絵が一番分かり易かったのである。

西洋ではかのダンテの「神曲」ですら、ベアトリスに対するこの詩人の初恋から生まれたと云うではないか。その外ゲーテにしろトルストイにせよ、一世の師表と仰がれる人の作品は、姦通を描き、失恋自殺を描き、道徳的にはかなりいかがわしい情景を扱ってあっても、その調子の高いことは到底わが元禄文学の比肩し得るところではない。

自分にも猫のしっぽのような便利なものがあればいいなと空想する谷崎さん。
猫は飼い主から名前を呼ばれると、ニャアと啼いて返事をするのが億劫だと、黙って、ちょっとしっぽの端を振ってみせる。
机に向かって執筆しているとき、また思索しているときに家人が入ってきてこまごまとした用事を訴えるとき、私にしっぽがあればちょっと二三回端の方を振っておいて、かまわず執筆を続けるなり思索に耽るなりするであろう。
また訪客の漫然たる相手をしているときにも、「はい」とか「ふん」とか云う代わりに、想像の尻尾を振り、それだけで済まして置くこともある。

船の三等に乗ることを好む谷崎さん
一等船室ではいろいろな挨拶や名刺交換で大変だが、三等ではだれも構ってくれないからかえってのんびりできる。また回りの世間話に耳を傾けたり、話し相手にもなったりする。
ときどきこういう三等旅行を試みて違った世界を覗く事は、小説家だけでなく、政治家にも、実業家にも、宗教家にも大いに必要ではないだろうか。