現代人の論語
呉智英 著
2015年8月10日 第1刷発行
王妃である南子に謁見する孔子。
それに対し、孔子は誓っていった。私が間違ったことをしていたら、天がこれを許すまい、天がこれを許すまい。
と、最後繰り返している。通説ではこれを強い断言と見るが、その一方、孔子の内心の動揺の表れとは見えないだろうか。
朱子学は一言で言えば厳格主義(リゴイズム)である。
古来、悪王といえば、夏の桀王と殷の紂王であった。しかし両者とも王朝の最後の帝であった。新しい王朝の立場で歴史が描かれるため、必然的に悪逆非道な人間として描かれてしまう。
弟子の学団の中で既に孔子の解釈をめぐって意見が分かれている。思想家の一個の人格を離れたとたん、思想はばらばらに分かれ始める。
東アジアにおいては、思想史は論語の変奏曲であった。
駄本に等しい論語俗界書は書店にあふれていた。井上靖「孔子」もそうした潮流の一つだろう。この本はここ半世紀の儒教研究が全く反映されていないどころか、伝統的な論語解釈まで踏まえていない通俗人正論に過ぎない。