聖人となるためには、ここに書いてあるように「奇跡」を行い、認められなければならないのですが、故ヨハネ・パウロ2世は、勿論それだけではないようです。
1979年、彼は当時共産圏だった故郷ポーランドを訪問しました。
これはポーランドだけでなく東ヨーロッパ全体に大きな衝撃を与え、宗教的だけでなく政治・外交的にも非常に重要な意味を持ちました。
そして1980年8月、ポーランドにて「連帯」が結成されます。
1981年5月には、法王は狙撃されますが、一命を取り留めます。
このような世俗社会との戦いにおける勝利も、ある意味「奇跡」とも言えます。
偉大な業績が、この異常に早い「列聖」への道を開いたともいえます。