松本佐保 著
中公新書2221
2013年6月25日 発行
バチカンの近代化は1648年、ウェストファリア条約の締結からである。
本格化な近代化への挑戦は、18世紀末葉のフランス革命の時代からである。
またナポレオンの登場によって、教皇は追放や幽囚の憂き目にあっている。
ダヴィッドに描かれた「ナポレオンの戴冠」
本来教皇のピウス7世が授けるはずの冠をナポレオンが自ら手で頭に戴いた。
以後、パンテオンは世俗化した王家の墓、神殿となっていく。
また、教会に属する権限と国家に属する権限が規定された。
これによって1870年のイタリアによるローマ占領から続いていた教会と国家との対立はひとまず終わることとなった。
「異教」や多宗派に対しても開かれた組織になることで、共産主義に対抗し、近代化を図っていった。
2011年、ヨハネ・パウロ2世の列福式が行われたが、この異例の速さは、奇跡を起こしたこと(教皇のパーキンソン病の回復を祈っていた修道女のパーキンソン病が治癒した)だけでなく、信仰の自由を弾圧していた共産党体制を崩壊させたという世俗社会の功績が大きかったのだろう。
2013年2月、ベネディクト16世の突然の退位
近年、国際社会において、軍事・戦略的なハードパワーだけでなく、宗教や文化などのソフトパワーに注目する研究が盛んである。
そうして意味でもバチカンの影響力に改めて注目すべきだろう。