ギリシャ人ピュテアスの大航海(後半)

ピュテアスの彫像

 

第五章 プレタニの島

ピュテアスのブリテン島の大きさの数字は正確である。

距離を測る方法は毎日どれくらい航海したかを推計する以外になかった。

潮流と風を計算に入れて、航海時間を導き、航海した距離に北、南などさまざまな点を考慮し、至点における真昼の太陽高度を基礎にして導き出した。

経験豊富な船乗りとはいえ、信じがたいほど正確である。p124

 

ピュテアスがどんな船で航行したかは想像するしかない。

大西洋沿岸を舟航する船については、丈夫な樫でつくられ、獣皮を帆にした船が普通だったと考えられる。

 

第六章 極北の島

アイスランドアイルランド修道士たちが住んでいたことは確かな事実である。

860年頃にノルウェーからヴァイキングの一団がアイスランドに移り住んだ時、修道士らが残していった本と鐘、司教杖などが発見されているからだ。p150

 

世界中で船乗りが注目していたのは、渡り鳥が飛ぶ方角だった。渡り鳥が海を渡る方向についていけば、新しい大陸が発見できると考えたことは頷ける。p151

 

ピュテアスが伝えた二つの天文学的基本的観察

・一日の長さ

・北極圏について

 

ピュテアスによる極北の島を「海の肺」と呼ぶ。

凍結した海か透明な巨大クラゲのような動きか?

(火山活動でマグマの表面の塊が、肺のような動きにも思えてくる)

 

第七章 琥珀の魔力

琥珀には二大産地がある

・ジュート琥珀ユトランド半島西岸一帯など

バルト海琥珀バルト海南側および東側p179

 

琥珀の産地に関するピュテアスの報告がプリニウスの博物誌に使用されている。p182

 

第八章 忘却へ

ピュテアスの探検の動機には商業的動機があったはずだが、他方で、何よりも科学者として、慎重なヘロドトスなど先人が提起した疑問や不確かな点に対する答えを求めて世界の果てまで赴いた。p194

 

『大洋について』とはどんな本だったんだろう。残存している断片から判断すると、主に天文学と海洋、大西洋に面したヨーロッパ北西部に関する一般的な科学書だった。p195

 

ストラポンはエラトステネスが六か所でピュテアスを資料にしていると書いている。

極北とブリタニケー、アルモリカ半島の西の領域、イベリア半島についてである。p204

 

ピュテアスを辛辣に批判したポリュビオスやストラボン

 

ピュテアスの『大洋について』から直接長文を引用したロードス島のゲミノス

プリニウスは『博物誌』三十七巻のうち三巻にピュテアスの観測結果を使用している。

 

訳者あとがき

2001年の著作を訳したが、出版は断られ続けた。

しかし高級ブティック・エルメス社のスカーフ「ピュテアスの航海」が人気で完売した、とのニュースに接し、再度訳稿を引っ張り出し、刊行にこぎつけた。