須賀敦子のフランス②シャルトル大聖堂

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須賀敦子のフランス」よりまずはシャルトルの大聖堂を。
1954年の6月半ば、彼女はパリからシャルトルに向かう学生の巡礼の中にいた。
パリ留学の厳しさに、抜け道を求める気持ちで参加した、とある。
信仰についての討論を重ねながら、そして空腹と疲れと闘いながら、40キロの道のりを、二日かけて、実際に自分の足で、シャルトルへ向かう。

まず針の先のような尖塔が見えてくる。
そして徐々に大聖堂が大きくなっていく。
パリから、プロヴァンスから(途中でそちらからの学生のグループと合流する)、ヴェトナム(須賀の友人の出身地)から、そして日本から、みんなの様々な思いを受けとめる大聖堂の姿。

大聖堂に到着する。
しかしミサは始まっており、人で一杯で中には入れない。
そんな中見つけた洗礼者ヨハネの弱った表情。
自分たちと同じような疲れきった姿。
著者の稲葉は、キリストの到来を予言する使命を持った預言者が、なぜこれほど人間的で、途方にくれた表情なのか、と疑問を呈する。
その答えとして、救世主のまだ現れない苦難に満ちた時代に、それでもキリストがやってくる事だけを待って生き続けようとする、ヨハネの切なさを、何とか表現しようとした、中世の無名の彫刻師の祈りが込められているのではないか、と推測している。

(文中敬称略。写真は古の門の辺りから撮ったシャルトル大聖堂の姿です。)