パリ時間旅行 鹿島茂 著 (前半)

パリ時間旅行 鹿島茂 著 表紙

パリ時間旅行

鹿島茂 著

筑摩書房 発行

1993年6月1日初版第1刷発行

 

この本では、パリの中に穿たれた、パサージュ、街灯、あるいは単に光、音、匂いなどというタイム・トンネルを通ってこの時間都市に旅をして、たっぷりと十九世紀の空気を吸い込んでいくことを目的としている、とのことです。

 

Ⅰ パリの時間旅行者

パリの時間隧道(パサージュ)

パリの建物は条例により高さが地域で一定している。そのせいか、屋根裏部屋の窓から眺めるとほとんど視界を妨げるものがない。

 

パサージュというのは、通りと通りを結ぶ一種のアーケードの商店街で、十八世紀の末から十九世紀の前半にかけて建設された鉄とガラスの建築

パリのパサージュはどれもいたって小規模で、しかも、例外なく寂れきっている。そして、その寂れ方が尋常ではないのである。それこそ、寂れ寂れて百五十年、というように、寂れ方にも年期が入っている。

 

パサージュは十九世紀の化石だが、左岸ではパサージュはすでに全滅している。

 

パレ・ロワイヤルの寂れ方は、パサージュ以上である。

パレ・ロワイヤルは十九世紀の古戦場である。とにかく、ここには人間の気配すら感じられない。

(この中庭で、のんびり昼休みを過ごしたのは懐かしい思い出です)

 

ボードレールの時代への旅

1853年はボードレールの時代のパリ

 

ベル・エポックの残響

1910年の初め、『失われた時を求めて』の執筆に全力を注ぐことを決意するプルースト

 

当時のガラクタ市を訪れた骨董好きが薄汚れたバイオリンを数フランで買ったが、のちにそれはストラディヴァリウスであることが判明した。

この噂が立って以来、パリ中の人間たちが、さながらゴールドラッシュのように、クリニャンクール門やモンスール門に立つ蚤の市に押し掛けた。

 

ラムウェイは、最初、二階建ての大型乗合馬車を軌道に乗せて、これを馬が牽引する鉄道馬車の形をとっていたが、やがて動力は蒸気や圧縮空気に、ついで電気に変わった。

 

Ⅱ パリの匂い、パリの光

香水の誕生あるいは芳香と悪臭の弁証法

 

清潔の心性史

 

パリの闇を開く光

固定した公共照明がパリに出現するのは、1667年、太陽王ルイ14世が、絶対王政の象徴として二千七百個のランテルヌ灯の街灯設置を命じたときのことである。

ランテルヌ灯はガラスをはめた角灯に一本の蝋燭がともされてるだけの照明

 

1760年頃、あらたにれレヴェルベール灯という灯油ランプによる街灯が発明される。街路をまたいで両側の建物の間に張られた綱の中央に吊るされてた。

 

パリの街路照明に革命をもたらしたのは、1830年頃から公共用街灯として用いられるようになったガス灯である。

 

灯柱はガス灯がレヴェルベール灯に取って代わった時に初めて登場した。

レヴェルベール灯は灯油だったので、ランピストと呼ばれる点灯夫が、毎日一定量を給油していたのだが、ガス灯では、ガス工場で製造したガスを地下のパイプを通して常時ランタンまで運んでいた。そのため灯柱が必要となった。

そして電気照明になっても灯柱が必要となるため、そのままパリ風景が残った。

そしてパリの夜が味気ない蛍光灯で照らされずにすんだ。

 

陰翳礼讃あるいは蛍光灯断罪

 

ミステリー「モーツァルトの馬車」

17世紀の中頃までは、都市交通に最も必要な二つのものが決定的に欠けていた。

・整備された舗装道路

・人間が安楽に乗ることのできる馬車

舗装道路は、17世紀においては、ローマ時代よりはるかに劣っていた。

 

18世紀、馬車もスプリングが改良された。

 

もし、モーツァルトが二十年早く、18世紀の前半に生まれていたら、あれだけの大旅行が物理的に可能だったかどうか。

また、モーツァルトが二十年遅く生まれていたら、石版印刷の出現で楽譜の出版による印税が可能だったから、モーツァルトほど旅行する必要がなかった。

 

モーツァルト親子が残した膨大な書簡は、18世紀後半のヨーロッパ社会を理解する上で、またとない一級の資料となっている。

 

18世紀後半の旅行手段として可能だったもの

・川船

・自家用馬車

・貸し馬車

・駅逓馬車(駅馬車

郵便馬車

 

馬車というと、御者と馬が自動的に付いているものと考えるが、これは駅逓馬車のような乗合馬車以外にはありえず、普通は自家用馬車でも貸し馬車でも、馬と御者のセットを宿駅ごとに雇わなければならなかった。

 

貸し馬車は寒さがひどかった。また、安全性もなかった。

 

駅馬車は乗り心地が最低だった。

 

郵便馬車は19世紀の前半には旅客輸送の一翼を担うことになるが、少なくともまだフランスでは、モーツァルトの時代には、郵便の配達が専門で旅客は乗せていなかったようだ。

したがって、モーツァルトの手紙によく登場する「終わりにしなくてはいけません。郵便馬車が出発します」という言葉は、郵便馬車に乗るのではなく、手紙を郵便馬車に託すという意味なのではないか。