ノートルダム フランスの魂(後半)

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2002年当時のノートルダム

 

7 1844年 ヴィオレ=ル=デュク
「薔薇窓の光に照らされ、ここで最期の時を迎えられますように」

ヴィオレ=ル=デュクとラシュスの分析結果
12世紀、13世紀の建造物は16世紀から19世紀初頭に至る間に野蛮に作り替えられた。この三百年の損傷をなんとしても元通りにしようと決意を固める。

中世の時代、尖塔は視覚的な句読点と見なされていた。
新たな尖塔の設計に取りかかったとき、ヴィオレ=ル=デュクはこのことを頭のどこかで意識していた。
この尖塔はパリの記章であり、フランスの結束を象徴した。
尖塔は目的、方向を指し示す指、フランスの脈打つ心臓

ノートルダムがこの世に現れてから850年、建設あるいは修復に携わった建築家はひとりの例外もなく、自身ではなく建物のために力を尽くした。
ヴィオレ=ル=デュクその人も、自らの仕事を首尾よく本来の中世建築に溶けこませた。p141

8 1865年 オースマンがシテ島を「すっきり片づける」
「砂漠のただなかに現れた象のよう」 ピエール=マリー・オーザス

オースマン男爵がパリとシテ島を大幅に改造した。
中世の住居と隣接する狭い路地を一掃して、ノートルダムに威風を添えた。
島の尖端に独り建ち、ノートルダムは何キロもの遠方からもその姿を望めるようになる。

9 1944年 ド・ゴール将軍とパリ解放
「マニフィカト(聖母マリアの賛歌)が高らかに響く。この曲がこれほど熱っぽく歌われたことがかつてあったろうか。しかしながら、堂内ではあいかわらず銃撃が続いている」

ドイツ軍による占領がパリを石に変えた。
ギリシャ神話に、女神をさらおうとしたところ、手を触れると女神が石に変わった話があった。パリに起きたのは、まさにそれ」
アメリカの外交官ジョージ・F・ケナンの日記より。

シャンゼリゼ通りを歩き終えたド・ゴール将軍がノートルダムに立ち寄り、ミサに参列した。
狙撃手が彼めがけて銃弾を浴びせたが、ド・ゴールは胸を張って歩き続けた。

10 2013年 ノートルダムの鐘
「響きに満ちたこの島」

2013年3月23日午後6時、ノートルダムの新たな鐘が1686年より南塔に下がる由緒ある大鐘エマニュエルとともに初めて鳴らされた。

1769年以降、大聖堂の鐘が一度も調子を合わせて鳴っていなかった。
1856年からは鐘のうち四個が出来の悪い代替品に交換され、敏感な耳に毎回苦痛を強いてきた。

2015年1月8日正午、氷雨の降るなか、数千人のパリ市民がノートルダムの前に集い、「シャルリ・エブド」襲撃事件で亡くなった人々を悼む鐘の音を聴いた。
その雑誌は日頃から徹底して宗教に反発し、とくにカトリック信仰には批判的だったのに、寛容なノートルダムは少しもそれを恨む様子はない。

11 2019年 ノートルダムの再建をめぐる争い
「大聖堂を以前にもまして美しく建て直そう」 エマニュエル・マクロン

建築家の守護聖人、聖トマは作者ウジューヌ・ヴィオレ=ル=デュクの面影を宿すと広く知られる。
尖塔の麓に置かれた十六体の巨大な聖人のなかで聖トマただひとり、足元に広がるパリには目を向けない。その代わり、建築家にふさわしい長い物差しを手に、警戒を怠ることなく尖塔を見上げる。

寄付にまつわる論争
奇想天外な大聖堂や尖塔の再建案、奇妙キテレツなデザイン案

ノートルダム火災の数日後、復活祭の日曜日のミサの最中にスリランカの教会で何百人ものキリスト教徒が虐殺されたが、このニュースがノートルダムの火災のように新聞の一面で報じられることはなかった。p205

あらゆる種類の宗教的原理主義の台頭は、近年、世俗主義を信奉するフランスの心情にとって試金石ともなる。
ノートルダムの火災はまた、それとは別の形でフランスの決意のほどを問うこととなった。宗教とはあくまで無縁であろうとする国家がじつは深く歴史に根ざしており、その歴史はキリスト教にほかならないことをこの悲劇は明らかにした。
何も嘆くことでもなければ、祝うことでもない。
単なる事実である。p206

あとがき、より

感激よりも畏敬。
フランス人はおそらくノートルダムの前で、これまでどおり畏怖の念を抱きたいのだろう。なぜならノートルダムはそんじょそこらの労働会館とは訳が違う。
ノートルダムはパリの脈打つ心臓である。
八百五十年以上もフランスの栄光と悲惨、フランスの勝利と挫折は、ノートルダムのアーチ型天井の下に鳴り響いたのだから。

訳者あとがき、より

結びの十一章では、尖塔のデザインに現代的な要素を添えようと目論んだ人々に対する著者の反発が明らかですが、これは幸い2020年7月に決着がつき、専門家の意見を入れてマクロン大統領が尖塔は焼失したものとまったく同じに復元するとの決定を公表しています。著者も胸をなで下ろしたことでしょう。

(画像は2002年のノートルダム大聖堂です)