アナバシス キュロス王子の反乱・ギリシャ兵一万の遠征 クセノポン著

アナバシス クセノポン著 表紙

ギリシャ軍一万の道程

アナバシス

キュロス王子の反乱・ギリシャ兵一万の遠征

クセノポン 著

松平千秋 訳

筑摩書房 発行

1986年12月20日 初版第5刷発行

 

ギリシャ人軍が現在のトルコ南部を通ってキュロス王子の反乱に加わり、キュロス戦死後、現在のイラクあたりからアルメニアあたりを通りトルコ北部の黒海沿岸に達し、西のギリシャに戻るまでを描いています。

敵の中、食糧不足に常に悩まされながら、悪天候や渡河にも苦しみつつ、一生懸命演説でみんなを説得したり鼓舞したりします。また占いの結果に前途を託す場面がやたら出てきます。

この人たちも大変ですが、通り道にあたる住民も食糧とかとられて可哀そうですね。

 

巻一 サルデイスからクナクサまで(前401年3月-9月)

キュロスが兄アルタクセルクセス攻撃の兵を起こそうとして、ギリシャ人部隊を集めた次第、上征の途次の事件の数々、戦闘の経過、キュロス戦死の模様、ギリシャ人部隊が自軍の全面的な勝利とキュロスの生存を信じつつ陣地に帰還。

 

巻二 クナクサからザバタス河まで(前401年9月-10月)

キュロス上征の途次、戦闘に至るまでのギリシャ人部隊の行動の逐一、およびキュロス戦死の後、ギリシャ軍が敵と休戦協定を結び、ティッサペルネスに同行しつつ撤退する。

 

巻三 ザバタス河からカルドゥコイ人の国まで(前401年10月-11月)

奥地を目指す進撃中、戦闘に至るまでに起こった出来事、会戦後、大王と、キュロスに従って進撃したギリシャ人部隊との間に結ばれた休戦期間中に起こったこと、更に大王とティッサペルネスが休戦協定を破り、追尾するペルシャ軍がギリシャ人部隊に攻撃を加えた。

 

カルドゥコイ人は山中に住み、頗る好戦的で、大王の命にも服さない

(今日のクルディスタンクルド族の先祖)

 

巻四 カルドゥコイ人、アルメニア人、タオコイ人、カリュベス人、スキュテノイ人、マクロネス人、コルキス人等の国を経てトラベズスに到着するまで(前401年11月―前400年2月)

黒海沿岸に到達するまでの道中において、ギリシャ軍の行ったことどと、ギリシャ人の町トラペズスに到着したこと、友好的な土地に到達した暁には、無事脱出を感謝して捧げることを神々に誓った供犠を果たした。

 

占者たちが河(神)に生贄を供えていると、敵は矢を射かけ、石を投じてきたが、まだこちらには届かなかった。生贄が吉兆を示すと、全軍の将士が戦いの歌を高らかに唱して鬨の声をあげ、それに合わせて女たちもみな叫んだ。 隊中には多数の娼婦がいたのである。p120

 

雪の中では、足については、絶えず体を動かして決して静止せず、夜は履物を脱ぐのが良策であった。靴を履いたままで眠る者は、革紐が足の肉に食い込み、靴が足に凍り付いてしまう。p126

 

アテナイ人クセノポンとスパルタ人ケイリソポスのののしり合い

スパルタでは子供のころから盗みの稽古に励み、法が禁じておらぬものならどんなものでも盗むのが恥辱ではなく、手柄になると聞いている。

アテナイ人は公金を盗むことにかけては名人だと聞いている。p132

 

この四人はいつも互いに負けじと武勇を競い合う競争相手だったがらで、こうして競い合いながら砦を占領したのである。p136

(こうした同じ軍の仲間たちの競い合いの場面、平家物語にも同じような感じの場面があったような気がする)

 

忽ち兵士たちが「海だ、海だ」と叫びながら、順々にそれを言い送っている声が聞こえてきた。

全軍が頂上に着くと、兵士たちは泣きながら互いに抱き合い、指揮官にも隊長にも抱き着いた。p137

(長征を経て、黒海を見た場面です)

 

巻五 トラペズスからコテュオラまで(前400年3月-5月)

ギリシャ人の黒海沿岸の町ケラススに着いた時点で、総員8600名だった。これだけのものが生き残った。その他は敵に討たれたか雪中に果てたり、病死した者もいた。

 

モッシュノイコイ人

これまでに通過した様々な土地の住民の中でも、この部族が最も野蛮であり、ギリシャの習俗から最もかけ離れていた。それというのも、衆人の中で普通の人間なら独りの時にしかせぬようなことをするし、独りの時に他の人間と一緒にいる時にするようなことをする。

ひとり言を言ったり、ひとり笑いをしたり、ふと立ち止まるとその場で、まるで他人に見せているかの如く、踊ったりもする。

 

クセノポンに殴られたと糾弾する男に対して、クセノポンが言うには

「どういう理由で君が殴られたのか、言ってくれ。私が君から何かねだって、それを君が呉れぬので殴ったのか。それとも何か返せと私がいったのか。あるいは美少年のことで喧嘩になったのか。あるいはまた私が酒に酔って乱暴をしたのだろうか」

(男たちの喧嘩の原因として美少年が出てくるのが古代ギリシャらしい)

 

巻六 コテュオラからクリュソポリスまで(前400年5月-6月)

 

巻七 ビュザンティオン、トラキアのセウテス王の許でのこと。ギリシャ軍、ベルガモンでティプロンの部隊に加わる(前400年10月―前399年3月)

 

訳注

町々について「人の住む」という語が添えられているのは、砂漠の多い荒野では住民によって見捨てられたゴースト・タウンが多かったことの証拠であろう。p265

 

プリギュアの伝説の王は、いくつもの民話の主人公としてポピュラーな人物である。手に触れるものをすべて黄金に変えたいという願いをかなえられて苦労する話。アポロンを怒らせて驢馬の耳をつけられる話等々。p266

 

解説

この話は、祖国に幻滅を感じ新天地を求めてペルシャに渡ったアテナイの一青年が、測らずもペルシャ王家の内紛に巻き込まれ、叛乱軍に加わって苦闘した顛末を、自伝風に記述した一種のドキュメンタリーである。

 

遠征に参加したとはいうものの、クセノポンは指揮官でも隊長でもなく、また兵卒でもなかった。いわば一種のオブザーバーとして、キュロスの戦いぶりを見学させてもらうといったものであったらしい。

しかしクセノポンは指揮官に推されて、クセノポンの適切な判断によって危機を克服する。

 

本書のみならず、クセノポンの全著作を通じて浮かび上がってくるのは、師ソクラテスの教えを実践しつつ、美しく善く生きようと努めた、誠実な敬神家の姿にほかならない。

 

クセノポンの文体は平明で、複雑な修辞技巧を用いぬために大変読みやすい。内容も道徳的なものが多いために、古代から広く愛読された。

ことに「アナバシス」は近世以来、ギリシャ語学習用の初級読み物として愛用され今に至っている。