グッバイ、レニングラード
ソ連崩壊後から25年後の再訪
小林文乃 著
2018年3月10日 第1刷発行
文藝春秋 発行
1941年6月22日に開始されたバルバロッサ作戦(ドイツによるソビエト連邦奇襲攻撃)により、レニングラードはナチスに約900日間完全包囲される。
1991年の7月、10歳の著者はモスクワに滞在する。そしてその帰国直後、8月19日、モスクワでクーデタが勃発する。そして12月25日にはソビエト連邦は地上から完全消滅する。
そして2016年11月9日、トランプ大統領誕生の当日、著者はロシアのサンクトペテルブルグ(レニングラード)に向かい、ショスタコーヴィチの交響曲第7番についてのロケを行う。
これらの時代を行ったり来たりして、ソ連、そしてロシアを述べていきます。
1991年当時、プラウダに載った著者についての記事。
プラウダで行ったディスカッションと、自分が書いたレポートが出処にしても、ニュアンスの違いに困惑する著者。
新聞記者は時に、自分の言いたいことを他人の口を借りて言う、というのが十歳にしての教訓となる。p18-19
今回の取材で宿泊したサンクトペテルブルグのホテルで見た「時計の映像」
ビキニを着たブロンド美女が、インク壷と筆を持って立っており、おもむろに近づき、画面いっぱいに筆で現在時刻を書く。
この映像が延々と続く。p47-48
完全包囲されたレニングラード。
冬には凍死者があふれ、食糧危機もピークに達する。
しかし冬の寒さのおかげで、ラドガ湖が凍り、そこに氷上道路を造ることが可能となり、徐々に市内に食糧を運ぶことが可能になる。
その氷上道路は「命の道」と呼ばれる。
1942年8月9日
たった一枚の写真が、レニングラード初演の事実を現代まで伝えている。
プーチンは自分の祖父のことを、レーニンの別荘に呼ばれ料理人を務めていた、またスターリンの別荘でも働いていたと語っている。
またプーチンの父はレニングラード包囲戦でナチスと死闘を繰り広げた英雄である、とも述べている。
これらは、自分こそがロシアを率いるのに最もふさわしい人物である、というメッセージだろうか。