ヨーロッパの民族学 第1・2章(白水社 文庫クセジュ)

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ヨーロッパの民族学
ジャン・キュイズニエ 著
樋口淳 野村訓子 諸岡保江 共訳
1994年11月25日 発行
 
この本の最初の一章では、民族に関する知識がヨーロッパでいかに形成されたかを示しています。
つづく二章でヨーロッパ社会に存在する200ほどの民族をいくつかのグループにわけて記述します。
そして最後の二章で、これらの社会で民族的アイデンティティが形成され表現されるメカニズムを分析しています。
 
第一章 ヨーロッパ民族学の歴史
Ⅰ 差異を記述する
 
Ⅱ さまざまなイデオロギー
  ロマン主義の台頭とともに、国家の起源をテーマとしながら、ケルト人やゲルマン人、スラブ人に関する広範だが脆弱な知的体系を築こうというイデオロギーの誕生
1 ケルト人、ケルト主義、ケルトマニア
 
 
3 スラブ人、 スラブ愛好主義、汎スラブ主義
 
民族学の基礎には、三つの学問的伝統がある。
第一にデュルケムとウェーバー社会学
第二に文献学、民俗学
第三に文化人類学社会人類学 p27
 
第二章 遺産の古層・基層・傍層
Ⅰ 遺産の古層
紀元前三千年から二千年、辺境ではそれよりさらに遅れて、ヨーロッパの古層となる文化が形成される。
ラップ人バスク人がこのヨーロッパ古層の姿を垣間見せてくれる。
 
1 ラップ人、あるいはサーメ人
人口、およそ4万人で、ノルウェースウェーデンフィンランド、ロシアにまたがり、北極圏の周辺に住んでいる。
 
エウシカラ語(バスク語)を話す人たち
 
Ⅱ インド・ヨーロッパの基層
インド・ヨーロッパ語という、一つの共通の言語が存在し、そこから歴史上よく知られた類縁語、ギリシャ語、ラテン語ケルト語などが派生した、という仮説p39
そしてひとつの民族ないし部族連合体が移動し、あちこちに定住していった、という仮説p40
 
1 インド・ヨーロッパ祖語という共通起源の言語
言語の共通の性質や語彙
 
2 諸文化の相似性、あるいは思考体系の同一性
用語を個別に研究するのではなく、名や儀礼の秩序だった全体を対照させる。
 
3 インド・ヨーロッパ人という同一起源の民族
インド・ヨーロッパの諸制度の語彙の全体像を見ると、今日ヨーロッパで様々な言語を話している諸民族の遠い起源は、同一の社会組織を持った一つの組織だったのではないか、と考えられる。p47
 
4 故郷についてのさまざまな仮説
研究者の多くは、インド・ヨーロッパ人を、戦闘用の斧を携え、縄席文土器を用いた、戦士・遊牧民の「クルガン人」であると考える。p48
 
Ⅲ 遺産の傍層
フェニキア人、ベルベル人ユダヤ人、フン族、アラブ人、モンゴル人など、多くの非インド・ヨーロッパ系の民族が、ヨーロッパ大陸にやってきて、一部は定住し、一部は先住の民族と融合した。
その中で、今日のヨーロッパのいくつかの国家の起源になっているフィン・ウゴル系の民族とトルコ系の民族
 
1 フィン・ウゴル系の諸民族
 
2 トルコ系の諸民族

ブールジュの観光案内表示

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ブールジュの観光案内表示
ブールジュの大聖堂から少し離れて、ブルボヌー通りを歩いていると、画像のような観光案内表示が目に入りました。
デザインもスッキリして、色合いも街並みに調和していることから、参考のためにわざわざ写真に残そうとしたのかもしれません。
この案内はブルボヌー通りの木組みの家並みについての解説のようです。
改めてグーグルマップで見てみると、確かに古の面影を残す木組みの家が建ち並んでいました。

ゴッホの遺作、オーベルスールロワーズのドービニー通りと判明

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ゴッホの絵画“Racines”(邦題「木の根と幹」)
【パリ時事】フランスの「バン・ゴッホ研究所」は28日、世界的に有名なオランダ出身の画家ビンセント・バン・ゴッホの遺作とされる「木の根と幹」で描かれた場所を特定したと明らかにした。

 

(この絵の原題はRacinesとなっていました。辞書で調べると(植物の)根、という意味でした) 

 

ゴッホが生涯を閉じたパリ近郊オーベールシュルオワーズにあると判明。研究所は、死の直前のゴッホの行動を理解する助けになると期待する。 発見したのは、同研究所のオランダ人研究員バウター・バンデアベーン氏(46)。自宅で資料整理をしていたところ、古い絵はがきが目に留まった。その写真に写る木がゴッホの作品と酷似しているのに気付き、調査を開始。作品を所蔵するアムステルダムゴッホ美術館の専門家も「ほぼ間違いない」と太鼓判を押した。
 

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20世紀初頭のオーベルスールロワーズのドービニー通りの絵葉書

 

(これがその絵葉書です。オーベルスールロワーズのドービニー通りと書いてあります。フランスではこういった昔の絵葉書をよく売っていたのを思いだします)

作品は未完で、ゴッホが拳銃自殺を図ったとされる日に描かれた可能性が高いという。日の当たり方から、夕方ごろにかけて描かれたことが新たに判明。バンデアベーン氏は「死の直前のゴッホの行動や、作品に込められたメッセージへの理解が深まるだろう」と強調した。 
 オーベールシュルオワーズのメジエール町長は「人通りが多い道だが、草木に隠れて誰も気付かなかった。素晴らしい発見だ」と歓迎。ゴッホの弟テオのひ孫、ビンセントウィレム・バン・ゴッホ氏は「感無量だ」と語った。

(ゴッホの最晩年はオーベルスールロワーズにいたわけで、この町のどこかということは十分考えられたと思います。ただモチーフがはっきりしていた他の絵と違い、抽象画のような絵なので、場所の特定は難しいのでしょうね。まあとにかくこれで、ゴッホの聖地ともいえるオーベルスールロワーズに名所がまた一つ増えたわけで、町長さんとしては、整備を考えなければならないですね。またオーベルスールロワーズを訪問したくなります) 

ゴッホは1890年7月27日、拳銃で自らを撃ち、同月29日に死亡した。 

(この発表自体は死後130年の日に合わせたものでしょうが、新型コロナ禍の中、何かとご苦労様です)

柳田国男と折口信夫(岩波書店)

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柳田国男折口信夫
同時代ライブラリー202
池田彌三郎 谷川健一 著
岩波書店 発行
1994年10月17日 第1刷発行

折口信夫の高弟であり、柳田国男とも身近に接した池田彌三郎と、両者の影響を受けながら独自の民俗学を築いた谷川健一の対談です。

「山の人生」の冒頭の炭焼きの男の話
1976年に郡上八幡で「奥美濃四方山話」という聞き書き集を手に入れる。
その中の「シンシロウサ」が山の人生の炭焼きの男
娘と死のうとした動機が、娘が奉公先で意地悪をされたことであり、飢饉や貧しさが動機ではなかった。
柳田による、無意識の創作か? P49-53

序文で、自分のまだ産み落としたばかりの赤ん坊のような著作に批判を加える柳田さん。
遠野物語」では
国内の山村にして遠野より更に物深き所には又無数の山神山人の伝説あるべし。願はくは之を語りて平地人を戦慄せしめよ。此の書の如きは陳勝呉広(物事のさきがけをすること)のみ
と書く。
自分の書いたものを高みから見下ろすこうした批判精神が、具体的な書物より、柳田国男の考えの方を大きくさせる結果を生んでいる。p141-142
柳田国男にとって、個々の著作は、それ自体が完成物ではなく、民俗学という巨大な石垣の石の一つ一つに過ぎなかったという気がします)

折口信夫は行かないところは書けない。知識だけで書いてはいけない。肌身に感じなくては書いてはいけないんだ、という考えの人だったのでは。
民俗学はそういう学問である。p173

柳田先生があれだけの仕事をできたのは役人だったからだ。あの組織力は私立の先生にはない。
柳田学というのは、しかるべきところに人を配置し手足のごとく使うという組織力の上に成り立っていた。
柳田学はルネッサンス建築のようなもので、折口学はバロック的な雰囲気を持っている。たとえて言えばガウディのあの怪奇な建物のような。
そして折口学は柳田学の未完成な部分の上に建て加えられていく。p174-175

ヨーロッパで古典学という場合、ギリシャ・ラテンがある。
日本でいえば薄弱で、漢籍はあるものの、生活とは無縁。
日本の場合、生きた古典は生活の中にしかない生活人の慣習とか習俗の中にしかない、というのが柳田国男の考えだったのではないか。p206-207

 

ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の狭い正面広場

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サン・テティエンヌ大聖堂のファサード
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の後方側面から前方に回ってきます。
大聖堂のファサード全体をカメラにおさめようと思ったのですが、正面の広場からでは無理でした。
仕方なく、少し路地に入ったところから、大聖堂の半身を捉えます。
フランスの大聖堂正面の広場は広い印象があったのですが、ここブールジュやルーアン、そしてストラスブールのそれは狭く、ファサード全体を写すのは無理でした。
残念な面もありますが、大聖堂建築時、中世はこういう感じに近かったようです。
というのも当時、家々や参事会境内などの関連施設が、大聖堂のそばに迫って、取り囲んでいたからです。
今風に言うと「密」の状態だったわけです。
しかしその後、宗教戦争や大革命、更に19世紀の都市改造により、周りの建物は取り壊されたりすることが多くありました。
宗教戦争や大革命においてはイデオロギー、つまり「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」的な思想により、そして都市改造においては文化財保護や「通気・衛生・安全」という第二帝政期のスローガンの実行という名目がまかり通ったのでした。
その結果、現在のフランスの大聖堂は、ぽつんと孤立した状態で居るパターンが多くなっています。
このブールジュの大聖堂も、後ろ側は庭園に囲まれているのですが、正面は別の建物が迫っている状態になり、中世の面影をかすかに残してくれています。

ストラスブール市議会 緑の党と社会党が統合

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ストラスブール緑の党社会党の統合記者会見

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ジャンヌさんとカトリーヌさん


Strasbourg : l'équipe de Catherine Trautmann (PS) intègre la majorité verte de Jeanne Barseghian
Elles vont finalement travailler main dans la main. Ce samedi 4 juillet, Jeanne Barseghian a annoncé lors d'une conférence de presse commune que Catherine Trautmann et le Parti socialiste (PS) intègreraient sa majorité.

ストラスブール:カトリーヌ・トロットマン(PS)の会派がジャンヌ・バースジアン率いる与党緑の党と統合。
彼女らは結局手を取り合います。7月4日土曜日、ジャンヌ・バースジアンは共同記者会見で、カトリーヌ・トロットマンと社会党(PS)が与党に統合されると発表しました。

 

Voilà une annonce qui n'était pas attendue. Ce samedi 4 juillet 2020, sur le parvis du centre administratif et dans une conférence de presse commune, Catherine Trautmann et Jeanne Barseghian, qui a conduit la liste victorieuse lors des municipales le 28 juin dernier, ont indiqué que les socialistes intègreraient la nouvelle majorité municipale. Ainsi deux élus appartenant à la liste PS devraient rejoindre l'exécutif et la majorité sera ainsi composée de deux groupes.

これは予想外の発表です。2020年7月4日土曜日、行政センターの前庭における共同記者会見で、6月28日の地方選挙で勝利したリストを率いたジャンヌ・バースジアンとカトリーヌ・トロットマンは、社会党員が新しい市議会の与党に統合されることを示しました。よって、PSリストに属する2人の議員は執行機関に加わり、与党は2つのグループで構成されます。

 

Ce samedi 4 juillet, en fin d'après-midi, le conseil municipal qui mettra en place les élus et leur rôle aura lieu. Une vingtaine d’adjoints serait prévue, par thématiques mais pas par quartiers. Dans l’exécutif, un adjoint et un conseiller municipal délégué seront du Parti socialiste. Il y a aura donc une bi-majorité municipale, les 47 écologistes et les sept socialistes.

7月4日土曜日、午後の終わりに、当選した議員が市議会が召集され役割が決められます。20名の副市長(注・フランスの副市長は法定議席数の30%を超えない数まで選出可能)が分野別に選出されますが、区では提供されません。執行機関には、副市長一人と市の代表委員一人が社会党から来ます。市議会の多数与党を、47人の環境保護主義者、7人の社会党員が占めることになります。



Franceinfoの記事から抜粋して訳してみました(訳には不正確な箇所もあるかと思います)
この期に及んでの統合には驚きました。
いわゆる与党でも過半数に達していない場合、選挙後に多数派工作で統合することはよくありますが、フランスの市議選の制度では多数派が確約される仕組みになっています。
また、統合するのなら、第一回投票終了後にして第二回投票に臨む方が民主的ともいえるのですが。
こうなった理由も、新型コロナによる非常時ゆえかもしれません。
統合自体は、もともと同じ左派だったことに加え、緑の党にとっては不慣れな与党での議会運営に備えるため、社会党にとっては少数野党よりも与党に加わりたいという、お互いの思惑かもしれません。
FAIRE ENSEMBLE STRASBOURG(ストラスブール共に行う)という、トロットマンさんの会派名を体現した形になりました(笑)
今後、この統合がどうなるかも気になるところです。
それにしても、記者会見の場所が野外というのがいいですね。
乾燥した爽やかな気候の中、7月の木漏れ日が注いでいます。
ルノアールの絵画で似たような背景があったのを思い出しました。

トランセプト(翼廊)の無いサン・テティエンヌ大聖堂(ブールジュ、フランス)

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ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂
更に左に移って写真を撮ります。
全体像がよくわかってきました。
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の、一番よく見掛ける角度になりました。
この大聖堂、他の巨大なゴシック大聖堂と違い、翼廊(トランセプト)がありません。
 

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アミアンノートルダム大聖堂
アミアンの大聖堂です。矢印の部分が翼廊となります。横に伸びる廊で、袖廊とも呼ばれます。
これにより、大聖堂を上から見ると、ラテン十字の形になり、キリスト教の象徴である十字架を大聖堂自ら体現することができます。
また内部構造においては、祭壇付近のスペースを広げ、信者たちの巡回を容易にします。

 

一方ブールジュの大聖堂の場合、巨大な身廊の両側に二重側廊が平行しています。
そしてその側廊の上に、急勾配の飛び梁が載っています。
内部の高さは一番外側の第二側廊が9メートル、第一側廊が21メートル、そして身廊が37メートルとなり、どっしりとしたピラミッド型の内部空間となっています。
この複雑さとユニークさゆえに、当時の大聖堂建築の主流にはなり得ませんでしたが、今となってはその独自性がブールジュの大聖堂の魅力となっています。
(大聖堂 文庫クセジュ を参考にしました)