豪華なアミアンのピカルディ美術館
アミアンのノートルダム大聖堂から街中を抜けてピカルディ美術館に達します。
画像はピカルディ美術館の内部を撮ったものです。
手前の彫像の後ろ姿が妙に綺麗です(笑)
画像でわかるとおり、豪華な内装に目を奪われます。
ピカルディとは、この地方の一般的な名称で、地域圏(州)の名称でもありました。
しかし2016年からは、フランスの地域圏の再編成に伴い、ピカルディ地域圏は合併され、オー=ド=フランス地域圏という味気のない名称になってしまいました。そして行政名称からピカルディの名称が消えてしまいました。
それでもピカルディという名称自体は、長年の歴史の重み故に、今後も親しまれると思われます。
そしてこの美術館はこのところ改装中だったのですが、まもなく3月に再開するとのことです。
ますます美しくなって、よみがえりそうです。
アミアンの大聖堂のファサードとそばの街並み
まだアミアンの大聖堂内には入れなかったので、いったん離れます。
街中から大聖堂のファサードを撮っていました。
アミアンの大聖堂のファサードは、他のフランスで見たそれに比べ実に白かったのが印象的でした。
大改修直後の姫路城が白鷺城ならぬ白すぎ城と呼ばれていたのを思い出します。
このアミアンの大聖堂も、背景の白に溶け込むような感じでした。
ただ、どうしても大気汚染や雨のせいで、輝くような白さも時とともに薄れてしまいます。
大聖堂という歴史的建造物の近くの街並みもこの写真で見ることができます。
建物は白と茶系統の落ち着いた色で、表示看板は一階に小さく見られるだけです。
目立たなく、非常に落ち着いた感じで、歴史的建造物周辺にふさわしいものとなっています。
この時はコダックや富士フィルム、アートギャラリーや自動車学校などの店舗が見受けられました。ちなみにフランスの自動車学校には、実際に車を運転するコースは無いようです。
ただ、最近のグーグルマップで見ると、表示はそれなりに大きくなっていたようです。
この写真を撮った20年前と規制が変わったのか、あるいは単にこの写真の写っている範囲や角度によるだけなのかはよくわかりません。
とにかく、歴史的建造物を極力損なわない街並みを造ってほしいものだなあと、思ってしまいます。
アミアンの大聖堂正面の左右の扉口(フランス)
アミアンの大聖堂の西正面には、前回の中央扉口の左右両側にも扉口があります。
それぞれ同じような構図でも、登場人物は異なります。
まず右側の扉口から。
こちらは中央が聖母子像となっています。
そして左右に並ぶ像は、旧約聖書に登場するソロモン王やシバの女王の像とのことです。
こちらは左側の扉口です。
こちらの中央の像は聖フィルマンという、アミアンの初代大司教の像であるとのことです。
それゆえこの扉口は「聖フィルマンの扉口」とも呼ばれています。
左側に並ぶ像は別の聖人とかでしょうか。自分の首が斬られた後、その首を持って歩いたとの伝説を有する聖人の像も見受けられます。
これらの像の下には四つ葉型の浮彫が刻まれています。
この浮彫の上段は12か月の星座が表現されているそうです。そして画像には入っていませんが、その下にはその月の労働の様子が描かれているとのことです。
大聖堂の入り口に一般人の労働の様子が描かれることは珍しいそうですが、それはこの地の農民が昔から農業技術に長けていたことに由来するのではないか、とのことです。
(週刊ユネスコ世界遺産 第82号 講談社 を参考にしました)
アミアンの大聖堂の中央扉口「救世主の扉口」
アミアンの大聖堂の正面に回ってきました。
まず入り口の彫像に圧倒されます。
これらの彫像は「石の百科全書」と呼ばれているそうです。それぞれに意味をもっているそうです。
正面には三つの扉口があります。
まず今回紹介する画像は、中央の扉口になります。
「救世主の扉口」と呼ばれるそうです。
画像の右下、扉口中央の柱に位置するのはキリスト像で「ボー・デュー」(Beau Dieu 美しい神)と呼ばれています。
その上は、最後の審判を描いた彫刻群です。
キリストの左側の人たちは、キリストの弟子たちでしょうか。
その上の彫像群も、きめ細やかです。
天使のような彫像もありますね。
みんな天に舞っているようにも見えます。
続いてほかの扉口も見ていきます。
ローマ法王 竹下節子 著
アミアンの大聖堂の羞じらう後ろ姿
アミアンの駅から、大聖堂方面に向かいます。
そしてまず、画像のような、大聖堂の後ろ姿に出逢いました。
この角度だと何本もの補強用の梁が目立ちます。
もともと大聖堂は神々しさを出すため、内部の高さを追求しています。
更にアミアン大聖堂は東側、つまり後ろ側に縦長のステンドグラスが密集しています。
つまりかなり脆弱な構造になっており、それを補うためには外側の多量の梁、飛び梁が必須です。
梁にも装飾は施しているようですが、基本的には縁の下の力持ち、的な役割です。
威風堂々としたファサード(正面)や横からの姿、更に内部の神秘的な雰囲気と違い、このような角度で見られるのは、恥ずかしいことかもしれません。
でも地味に支えて維持し続ける姿も、やはり一つの神々しい姿であると言えるでしょう。
この姿を心に刻みながら、大聖堂正面に廻っていきます。