ストラスブール美術館展にて(姫路市立美術館)

ストラスブール美術館展を観賞するため、姫路市立美術館に行って来ました!

この美術館は、ユトリロ展以来の訪問です。
また、作品を提供したストラスブール近現代美術館にも行っていました。現代芸術のオブジェの印象がおぼろげに残っています。
今回の展覧会では、「印象派とポスト印象派」「近代絵画におけるモデルのかかわり」「アヴァン=ギャルド」の三章に分かれていました。
自分はやはり印象派などによる風景画が好きです。

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これはシスレーの「家のある風景」です。
1873年の作品です。その頃シスレーはパリの西にあるルヴシエンヌに住んでおり、その辺りの風景の作品を多く残していますので、これも当地のものでしょうか?
シスレーにしては、わりと明るい風景画になっています。

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これはロタール・フォン・ゼーバッハによる、La rue de la Douane à Strasbourg, Effet de pluie(邦題は「ストラスブールのドゥアンヌ通り、雨の効果」の方がよろしいかと存じます)です。
この作品の他、ストラスブール周辺を描いた作品としては、ジャック・ガショによる「Port du Rhin」(ライン河の河港を描いたものと思われます)や、マルタン・ユーブレシュトによる、「イル川に架かる橋」などが展示されていました。
ストラスブール好きとしては、大聖堂などのストラスブールの美しい風景が、様々な手法で描かれた作品が多くある方がいいな、と思ってしまいました。

当日はシスレーと銀の馬車道についての講演会もあり、満員盛況の中、拝聴させて頂きました。
生野銀山の開発に尽力したフランス人鉱山技師であるジャン=フランソワ・コワニェの鉱山学校時代の評価が「優秀だが軽薄」という風に書かれていたのには笑ってしまいました。
まあ軽薄ぐらいでないと、当時わざわざフランスから日本まで来て働く、という思いきったことはできなかったのかもしれませんが。
あと、銀の馬車道を日仏ゆかりのあるバラで飾るプロジェクトが進んでいるとのこと。
以前、姫路港で見たことがありますが、それが沿線各地で見ることができるようになるのは新しい名所となりますね。

ニースの眺めの良い場所 ベランダ塔

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ベランダ塔からの眺め

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ベランダ塔の謎の?大砲
ニース旧市街の東側にある小高い岩山、城跡公園の階段を登っていきます。
ちなみにエレベーターもあるそうです。
途中で画像のような眺めが見える場所に出ました。
いわゆるベランダ塔(La Tour Bellanda)と呼ばれるところです。
グーグルマップで発見した現地の仏・伊・英語で書かれた看板によると、この場所にはサン・テルム塔(Saint Elme)と呼ばれる塔があったとのことです。
しかし1706年の要塞の破壊に伴い壊されたそうです。
その後1826年にベランダ塔として同じ場所に再建されました。
ついでにその看板には1691年4月当時のニース城も描かれていました。
当時の城の姿を再現してくれており、古の城の全体像に思いを馳せることができます
画像では大砲のようなものがありますが、現在ではこの大砲は撤去されたようで、足場だけが残っていました。
要塞の面影がなくなったのは残念ですが、余計なイタズラされるのを心配した結果でしょうか?

ニースの戦没者慰霊碑

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ニースの海岸沿いを歩いていると、画像のようなモニュメントに出くわしました。
大戦における戦没者の慰霊碑です。
フランスでは大戦というと、通常第一次世界大戦を指すそうです。
というのも、第一次世界大戦の死者の方が多く、第二次世界大戦の50~60万人の死者に対し、150万人に達すると言われています。
フランス各地でこのような慰霊碑を見かけましたが、ニースのこれは前を通る人と比べてみるとわかるように、かなり大きなモニュメントとなっています。
他の地域で自分が見た慰霊碑の画像を参考に載せておきます。
 

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これはリヨン近くの街ヴィエンヌ(ビエンヌ)の戦没者慰霊碑です。

 

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こちらはペイドラロワール州の街ラヴァル近くの、花のむらとして知られるジュヴィニェの戦没者慰霊碑です。このむらの人口は千五百人ほどですが、それでもちゃんと慰霊碑が存在します。
花のむららしく、しっかりと美しい花で覆われています。

(フランス現代史 隠された記憶 宮川裕章 著 を参考にしました)

10月のニースの海

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 10月のニースの海を眺めます。

ジェットバイクがただ一機走っています。

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ヨットが太陽の光を浴びて浮かんでいます。
写真を見ていて、てふてふをヨットにたとえている詩があったなぁと、かすかに浮かびました。
調べてみると、三好達治の「土」という詩でした。

 

蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ

 

というものです。

 

蝶々ではなく、てふてふという言葉を思い出したのは、別の詩

 

てふてふが一匹韃靼海峡を渡って行った

 

という、安西冬衛の「春」のフレーズが頭の片隅にあったからかもしれません。

画像のヨットをてふてふにたとえてみると、

 

てふてふが数匹地中海を漂っていた

 

となるのでしょうか。

ニース市庁舎前にて(フランス)

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ニース市庁舎正面
古の写真でめぐるフランスシリーズ、今回からはニースになります。
この時はさる国際会議のついでに立ち寄っただけなので、優雅にニースを楽しむ余裕はありませんでした。
時期は2000年の10月です。
まず最初は、ニース市庁舎の写真を撮っていました。
フランス国旗の下に市の紋章、そしてNICAEA CIVITASとラテン語らしき文字が書かれています。
このあたりにも、古代からの都市ニースのプライドがうかがえます。

 

ブログの記事を書くにあたって、最近ではグーグルマップもよく参考にしています。
今回、ニース市庁舎で参照してみましたが、やはり役所ということで、苦情の類いを多く見かけました。
ただその中で、日本と違うところは、行政結婚式(mariage civile)に対する苦情があったところです。
日本では、役所は単に婚姻届を出すだけですが(最近はちょっとした祝福してくれるような役所もあるようですが)、フランスとかでは市長や副市長などが執り行う行政結婚式まであります。
しかしそんな晴れがましい場においても不手際があるようで、ネットでグチグチ文句書きたくなってしまうようですね。

日本の地方政府

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日本の地方政府
曽我謙悟 著
2019年4月25日 発行
中公新書 2537
 
はじめに
地方政府という言葉
地方では「政府」が存在せず、行政機構だけが存在しているという見方、とりわけ国が決定した政策を実施する存在であるという見方に立ってきた。
しかし実態は、地方には政治はあり、立法活動も行われている。こうした地方における代表と統治の姿を理解するために、地方政府という言葉を用いる。
 
NPM
ニュー・パブリック・マネージメント
新しい公共管理や新公共管理と訳される。
行政組織の運営や管理方法に、民間企業と同様の考えや手法を導入するように求める考え方。
イギリスやニュージーランドなどアングロサクソン諸国を中心に様々な試みが実践されてきた。p69
 
政策法務
政策の作り手としての地方政府の性格を強調し、条例を通じて新たな政策形成を図る。
輸入品のNPMに対して、国産のマネジメント手法。P72
 
現在の日本の地方政府の行政機構には、マネジメント部門の乱立がみられる。
人事、予算、評価、企画・計画、法務の最大で五種類に及ぶ多元的な統制がかかる。P74
 
昼夜間人口のズレは、昼間人口が大きな中心都市は、住民以外の通勤・通学者への行政サービスを提供するが、その原資を獲得することが難しい。
中心都市が提供する行政サービスは、周辺の市町村にも拡散する。これをスピル・オーバーという。P105-106
 
大都市問題の解消法
市町村合併や市町村間連携により、大都市の行政区域を拡大する方法
・大都市と郊外の負担の調整、具体的には財源の再配分
・広域政府が公共サービス供給の任にあたる p108
 
大都市制度
上の三つの方法を組み合わせることにより、大都市圏域における中心都市と周辺の負担と便益のズレに対処する試み
・イギリスのマンチェスター、マージーサイド(中心都市はリバプール)など六大都市圏における大都市バラ(metropolitan borough)
・ドイツのベルリン、ハンブルグブレーメンといった都市州
・韓国のソウル特別市や釜山などの広域市
他方フランスでは、県の位置づけを与えられるものは首都パリだけであり、マルセイユやリヨンなどの大都市には区が設置されるものの、郊外との調整は行わない。スピル・オーバーへの対処は、多様な地方政府間連携の仕組みによって対処されている。P109
(いわゆる大都市共同体みたいのなもののこと)
 
足による投票
地方政府が提供する政策を理由としての移動によって、人々が地方政府の政策を選択することp115-116
 
地方政府の規模の見直し
南欧
 市町村の地域共同体の性格を重んじ、合併や再編を行わずに、地方政府間の連携や広域地方政府への吸い上げなどで対応していく諸国。フランス、イタリア、スペインが典型例。アメリカやドイツもこちらに該当する。
・北欧型
 市町村による公共サービスの供給を重視し、合併により市町村の行財政能力を高めようとする諸国。スウェーデンをはじめとする北欧諸国、イギリス、さらに韓国などが該当。日本もこちらに入る。P142
 
イギリスの地方政府は、中央政府の手で再編を繰り返されてきた。
フランスは中央集権国家といわれながら、地方制度の再編を緩やかに進めている。
この違いは、国政と地方政治が分断されているかどうかによる。
イギリスは中央政治家と地方政治家は分断されている
フランスは兼職が認められており、国政政治家の大半は同時に地方政治家である。地方の意向を無視した改革は行い難い。P144
 
明治以来の47都道府県の体制を維持できた理由
・市町村こそが新たに生まれた行政需要の多くを受け入れてきた。だからこそ市町村は合併を繰り返し要請された。
保健・福祉分野の多くのサービス提供を市町村が担ってきたのは、他国と比べて日本の特徴
・政治面の問題。都道府県は個人候補者に投票する最大の選挙区。このことから政党の地方組織は都道府県を単位とする県連という形態をとる。P156-157
 
中央政府が合併を進めた理由
・行政が主要因。税制再建のために歳出抑制を求める大蔵省・財務省が、小規模町村への財政補助の見直しを求めたことに出発点を見出す。
・政治が主導。選挙制度改革の結果、国政政治家の集票戦略が変化したことを重視 p166
 
合併に伴う規模以外の正負の変化
正の効果は、合併を機に、組織の見直しや業務の進め方の見直し、提供する公共サービスの質と量との見直しが行われる。
負の効果は、一つには、合併前に、いずれ合併するのだからと考えて、放漫な経営をするモラルハザードの問題。もう一つは、合併後に、異なる組織の出身者同士が対立し、組織の統合が進まないこと。P169-170
 
日本の地方政治の最大の特徴は、政党制が根付いていないこと
この原因は、首長の公選と、定数が大きい議会の選挙制度にある。P231
 
日本の地方政府には歳入の自治がない。
どれだけの負担を背負ってどれだけのサービスを受けるのかをセットで考えることが、民主主義の基本である。地方自治は民主主義の学校というが、それならば、私たちはまだ学校に入学していない。P243-244
 
あとがき より
筆者が地方政府に関心を持ったのは、小学校の低学年の頃だった。
父親が市役所の職員だった。時折こぼす仕事の愚痴は印象的だった。漠然とだが、社会で働くことの厳しさをそこから感じていた。P249-250