酒場の文化史(サントリー博物館文庫6)

酒場の文化史 -ドリンカーたちの華麗な足跡-
海野弘 著
サントリー博物館文庫6
1983年4月25日 第2刷発行

人類が洞窟に住んでいたときから、既に酒はつくられていた。この洞窟こそ、最初の酒場ではなかったろうか。今日でも私たちが、ほの暗くて、狭くて、すっぽりと包みこまれるような酒場を好むのも、その原型が洞窟であったせいではないだろうか。

ヘロドトスの「歴史」によるとペルシャ人は、飲んで決めたことをしらふでもう一度はかることがある。またその逆で決定する事もありうる。ペルシャ人は酔ったときの本音をかなり大切にしており、なおかつしらふの時のたてまえとなるべく一致しようとしていたのである。

中世には、修道院がワインやビールづくりの秘伝を知っていて、酒の販売が財源の一つになっていた。このため坊さんの酔っ払いが増え、教会は頭を悩ましていた。
禁欲的な修道院にもかかわらず、酒という嗜好品をつくり、酒倉に行って味見できたわけで、取り締まりも厄介であった。

本来、祭りや市の催し物、地域の集会などは、中世では教会が主催するものであった。しかしイギリスでは、ヘンリー8世がローマから断絶して以来、このような行事は民間のパブリック・ハウスが引き受けるようになった。イタリアやフランスでは以前教会の力が強かったのとは好対照である。18世紀においても、特にイギリスの酒場は、市民的なリクリエーション・センターとなった。