ローマ人の物語ⅩⅠ 終わりの始まり 皇帝マルクス・アウレリウス

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ローマ人の物語
終わりの始まり
塩野七生 著
2002年12月10日 発行
新潮社

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まずは、皇帝マルクス・アウレリスから。
いつもパリなどについて貴重な報告を書いていただき、なおかつこちらのブログにも貴重なコメントをいただくMiyoko様が、最近ルーブルローマ皇帝の彫像について書いておられた。
このようにカエサルなど、多くの皇帝の彫像は残っているのだが、ブロンズの騎馬像となると、珍しい。
勿論在任当時は他の皇帝にも同じようなものはあったのだろうが、ギリシャ・ローマ関連物の破壊の中で、溶解されてしまったのだ。
しかし皇帝マルクス・アウレリウスのそれだけは、今もカピトリーノ美術館に残っている。
また、この皇帝は「自省録」という本で、自分の思いを後世に残している。
これはカエサル以来の、幸運といえる。
このように、颯爽とした騎馬像と、他の書き手にゆがめられることなく自分の思いを吐露できた、稀有な皇帝といえる。
そして後世の評価も「不運にも困難な時代だったものの、哲人皇帝として、真摯に統治した」、という高評価につながっている。

この巻において、当然そのような点も認める一方、哲人皇帝としての限界もあったのではないかと疑問を呈している。
優れた帝王教育を受けたマルクス・アウレリウスだったが、一方、広大なローマ帝国での経験が不足していた。
人民に対しては、哲学のような形而上なものより、「安全と食の保証」など、はっきりと目に見えるものを具体的に示す事が必要である。
そういうことは、実地に体験して、状況によって判断できるようになるしかない。
その点からすると、各地で様々な戦いを行ってきた皇帝や、視察巡行しまくった皇帝に対する評価の方が高くなってしまう。

マルクス・アウレリウスも皇帝就任後、蛮族との戦いに奔走する事になる。
その疲労も重なり、59歳を前にして、病苦の後、遺言を残した後、すべての薬や食事、水を絶って死を迎える。
彼自身不向きだった、軍事にかかわり続けざるをえなかった治世であった。