イザベラ・バード「日本奥地紀行」
新訳 日本奥地紀行
イザベラ・バード 著
金坂清則 訳
2013年10月10日 初版第1刷発行
平凡社 発行
東洋文庫 840
英国スコットランド出身の女性探検家、イザベラ・バード(1831-1904)による日本訪問記です。
1878年(明治11年)、浅草や日光などの観光地だけでなく、福島から新潟、そして山形や青森を経て、北海道にまで到達しています。
内地では道路の整備もできていないような難所を、粗末な食事と不潔な宿泊地、そして外国人女性として好奇の目で見られるのにもめげず、たくましく旅を続けています。
旅の中では、随所に聖書などからの言葉を思いだしています。
北海道(蝦夷)ではアイヌについてのフィールドワークをかなり深く繰り広げていました。
日光の入町の学校で伊呂波歌を聴いて、その歌詞の訳に注目するバードさん。
歌詞の内容に東洋独特の厭世感が表現されており、幼い子供が学ぶには陰鬱過ぎると感じる。p125-126
日本の陸運会社(内国通運会社)と呼ばれる陸上輸送会社
この会社のおかげで効率よく旅が出来た。p140-141
旅の通訳などのために従者として雇った伊藤鶴吉。
最良の英語を使おうとする熱心さ、またまた雑用もてきぱきとこなす。
その一方伊藤の欠点についても様々書き連ねている。
日本の本州の人にとっての蝦夷は、英国人にとってのティペリアリ(アイルランド南部中央の内陸県)、スコットランド人にとってのバラ島(スコットランド北西部の小島)、ニューヨーク人にとっての「テキサスの片田舎」
つまり荒野をなしほとんど知られない人口希薄なところなのである。p335
アイヌの人たちがまつる義経神社
義経がアイヌの人たちに親切だったということが語り継がれてきたというだけの理由で、アイヌの人々の記憶の中に生き長らえてきた。p384-385
義経が蝦夷に逃れて何年もの間アイヌの人々と暮らし、12世紀の末に死んだと信じている人も多い。
とりわけアイヌはこのことを固く信じており、義経が自分たちの祖先に、文字や数字とともにさまざまな文明の術を授けたり、正法をもたらしてくれたと言ってはばからない。p414