ラファエロ ルネサンスの天才芸術家 第3章

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「パルナッソス」より ホメロスの表情
第3章 古代ローマへのまなざし
 
キリスト埋葬
エスとその遺体を運ぶ人物たちのポーズは、ローマに残されていた古代石棺の浮彫「メレアグロス石棺」と呼ばれる構図を踏襲したものとなった。
 
ラオコーン群像から、「パルナッソス」の古代ギリシアの盲目の詩人ホメロスの表情が反映されている。
(画像の矢印の人がホメロスです。ラオコーンから影響を受けているとは驚きました。ホメロスは詩の霊感を受ける瞬間なのかもしれませんが、一方で創作の苦しみを表したかったのかもしれません)
 
ラファエロ自身の後期作品の一つの特色は、古代作品の造形要素を、単純な引用にとどまらず、考古学的な視野、つまり古代作品に表されたモチーフを一種の資料として利用していることである。p107
 
ラファエロの遺跡監督官としての仕事
サン・ピエトロ大聖堂の改築事業に必要な大理石などの資材を、古代遺跡から調達する。
古代ローマの地図を作成する。
 
歴史的遺産を保護する条例などがまだ整備されていなかった時代、遺産の散逸を危惧したラファエロは、教皇へ進言書を提出し、歴史的建築物を守るため、何らかの対策を講じる必要性を訴え出た。
 
古代の装飾形式と技法が早速用いられたのが、ヴァティカン宮殿の内部であった。
 
 

アルザスの両生類保護活動

少し前にアルザス欧州自治体(CeA)の常任委員会で、県道の両生類を保護、という項目がありました。どういうことかよくわからなかったのですが、最近この件について詳しく書いていたのでまとめてみます。

Campagne de protection des batraciens

Précurseur dans le domaine de la préservation de la biodiversité, la CeA poursuit ce printemps, avec l’aide de ses partenaires, la campagne de protection des batraciens mise en place depuis plus de 30 ans dans les deux Départements alsaciens.

両生類保護キャンペーン

生物多様性保全の分野のパイオニアであるCeA(アルザス欧州自治体)は、パートナーの助けを借りて、アルザスの2つの県で30年以上にわたって実施されている両生類保護キャンペーンを今春も続けています。

L’Alsace abrite un très grand nombre d’espèces d’amphibiens (une quinzaine d’espèces) ce qui en fait l’un des territoires les plus riches de France. Toutes ces espèces sont protégées. Du nord au sud de l’Alsace sont installés, sur 69 sites différents, des dispositifs temporaires pour empêcher les batraciens de traverser les routes pendant la période de ponte.

アルザスには非常に多くの両生類(約15種)が生息しており、フランスで最も豊かな地域の1つとなっています。これらの種はすべて保護されています。アルザスの北から南まで、69の異なる場所に、両生類が産卵期間中に道路を横断するのを防ぐための一時的な装置が設置されています。

Pour ce faire, il y a deux techniques :

・la plus utilisée : des filets qui canalisent les animaux vers des seaux enterrés où les batraciens tombent puis sont ramassés à la main pour être portés dans les plans d’eau pour la ponte
・des dispositifs permanents installés, les "crapauducs", permettant aux amphibiens de passer sous les routes par des passages "busés" ou des tunnels

これを行うには、2つの手法があります。

・最もよく使われるのは、両生類が入り込む埋められたバケツに動物を導く網を使い、産卵のための水辺に運ぶために手で拾い集めます。

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アルザスの両生類を網を使ってバケツに追い込む仕掛け

・設置された恒久的な装置、「crapauducs」で、両生類が「パイプ」通路またはトンネルを通って道路の下を通過できるようにします。

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両生類が道路の下を通るための設備 crapauducsと呼ばれる
Habituellement, les migrations des batraciens commencent, en plaine, fin février, pour s’achever vers le début du mois d’avril. Sur l’ensemble des sites, des arrêtés temporaires de limitation de vitesse sont pris. Les automobilistes sont invités à ralentir à l'approche des sites de protection signalés par des panneaux. Sans dispositif, la mortalité des batraciens traversant les routes serait de l’ordre de 90 %. On mesure ainsi l’utilité des campagnes de protection hivernale pour la survie des espèces. Si la protection d’espèces protégées est le premier objectif, il faut aussi souligner l’utilité du dispositif en matière de sécurité routière (routes rendues glissantes, comportement d’évitement des batraciens).

通常、両生類の移動は2月末に始まり、4月初め頃に終わります。地域全体で、一時的な制限速度の法令が認可されます。運転手は、標識で示された保護地域に近づくときは減速することをお勧めします。装置がなければ、道路を横断する両生類の死亡率は90%程度になります。したがって、種の生存のための冬の保護キャンペーンの有用性を推し測ることができます。保護種の保護が第一の目的であるにしろ、交通安全(滑りやすい道路、両生類を避けようとする運転行動)の観点からもシステムの有用性を強調することも必要です。

En 2020, ce sont près de 100 000 animaux qui ont été transportés et des dizaines de milliers d'autres sauvés grâce aux bénévoles, à la Brigade Verte, à la Ligue de Protection des Oiseaux, à l’association "Les Piverts" et à l’intervention des agents des routes.

2020年には、ボランティア、緑の旅団、鳥類保護連盟、「アオゲラ」協会、道路管理者の尽力のおかげで、10万頭近くの動物が輸送され、数万匹が救われました。

Alsace & biodiversité
Aujourd’hui un grand nombre de Départements ont emboîté le pas de la CeA et gèrent ou financent des dispositifs de même type même s’ils restent moins développés.
La CeA gère l’un des dispositifs les plus importants, notamment en nombre d’animaux sauvés. Ceci est rendu possible par un engagement conjoint des services, chacun dans son domaine de compétence et une organisation coordonnée.
Cette opération importante et récurrente est aussi réalisée avec un minimum de financement (lequel est limité au renouvellement des filets et autres équipements) grâce à la mobilisation bénévole qui est constante et même en développement depuis 30 ans.
アルザス生物多様性
今日、多くの県がCeAの足跡をたどり、開発が進んでいない場合でも同様のシステムを管理または資金調達しています。
CeAは、特に保護される動物の数に関して、最も重要なシステムの1つを管理します。これは、それぞれの管轄領域と調整された組織におけるサービスの共同契約によって可能になります。
この重要で定期的な活動も、30年間にわたり発展している継続的なボランティアの動員のおかげで、最小限の資金(網やその他の機器の更新に限定されます)で実行されました。

Les jalons historiques

1983: installation du 1er Crapauduc de France au lac de Kruth-Wildenstein. Ce projet était porté par Pierre Egler, alors 1er Vice-Président du Conseil Général
1989: identification des principaux sites de migration des Crapauds communs le long des routes
1990: 1ère campagne de sauvetage des batraciens, coordonnée par les services du Département Haut-Rhinois
1994 : installation du 2ème Crapauduc au plan d’eau de Reiningue.
2012 : évaluation d’ensemble de l’efficacité des dispositifs par l’association BUFO

歴史的な流れ

1983年:クルト・ウィルデンスタイン湖でフランス最初のCrapauducの設置。このプロジェクトは、当時の市議会の第一副議長であったピエール・エグラーが主導しました。
1989年:道路沿いのヒキガエルの主な移動場所の特定
1990年:オラン県の担当部署による最初の両生類救助キャンペーン
1994年 :Reiningue湖に2番目のCrapauducを設置。
2012年 :BUFO協会による装置の有効性の全体的な評価

Quelques chiffres

69 sites équipés annuellement permettent de sauver environ 100 000 batraciens/an.
Près de 250 bénévoles investis chaque année, d’innombrables heures effectuées par des partenaires très impliqués : les Brigades vertes, la LPO, BUFO, Les Piverts

関連する数字

年間69の設備が装備されており、年間約100,000匹両生類を保護しています。
毎年約250人のボランティアが活動し、非常に関与しているパートナーである緑の旅団、LPO、BUFO、Les Pivertsが数え切れないほどの時間を費やしました。

アルザスのカエルくん達は幸せですね。ゲロゲ~ロ、ロゲロ~ゲ(by 青空球児功児)と喜んでいそうです(^_^)

ラファエロ ルネサンスの天才芸術家 第2章

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ヘリオドロスの追放」における教皇ラファエロ

第2章 教皇居室の装飾
変化する制作スタイル

「署名の間」は教皇の蔵書室として使われていた。
書物の4つの分類、神学、哲学、詩学、法学に呼応する、四つの主題が天井と壁画に描かれている。

アテネの学堂(署名の間)
奥の空間では、プラトンアリストテレスという二人の哲学者を中心に、左右の人物が並んでいるが、各人の頭の高さはほぼ揃えられ、見事な水平線を描いている。p83

ヘリオドロスの追放(ヘリオドロスの間)
激しい動きに満ちた、勢いのある表現
色彩に関しては、暗色が用いられ、明暗のコントラストの差が強められている。

ボルゴの火災(火災の間)
内部の空間的な広がりよりも、群像の演じる逃走劇に目が引き付けられる。

ラファエロは大規模な壁画を装飾するにあたり、当初は均衡・調和のとれた構図を用いていたが、次第にそれを脱し、色彩や人物構成の面で、より大胆で劇的な構図を、入念に工夫し作り上げていったのである。

ラファエロの工房のメンバー
・ジュリオ・ロマーノ
名実ともに弟子のトップ
・ジョヴァン・フランチェスコ・ペンニ
とくに素描を準備する役
・ジョヴァンニ・ダ・ウディネーゼ
動植物を描く専門家

ヘリオドロスの追放」でユリウス2世の輿を担ぐ青年もラファエロの自画像?
教皇の左手の人差し指が下に向けられ、この人物の存在をそれとなく示しているように見える。p94

ライモンディの描くラファエロの銅版画
その姿は、自身で絵筆を手にして作品を描くよりも、むしろアイディアを練り、監督者という立場から弟子たちに描かれる、ラファエロの後期の制作プロセスをまさに反映しているといえる。p95

ラファエロの変化のプロセスを、教皇居室の装飾、そして自画像の変遷からたどることができる。
控えめで柔和な面持ちの若い画家は、多くの仕事と弟子に囲まれ、重責に誇りと苦悩を秘めた、孤高の芸術家、そして監督者へと変貌を遂げていくのである。

中公新書 ラファエロ ルネサンスの天才芸術家 序章・第1章

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中公新書 ラファエロ 表紙

 

カラー版 ラファエロ

ルネサンスの天才芸術家

深田麻里亜 著

中公新書 2614

2020年10月25日 発行

 

そういえば、昨年2020年で、ラファエロ死去500年だったのですね。

不覚ながら気づきませんでした。

世界的に新型コロナ禍で、様々な関連行事が中止になったようです。

コロナが消え去っていくとともに、ラファエロが再び盛り上がって欲しいです。

 

序章 才能と野心

 

ラファエロの最初の師は、父ジョヴァンニ・サンティとマルケの風景だった」p4

 

ラファエロの出生時の苗字はサンティ(Santi)だが、のちに人文主義的趣向からラテン語風にサンツィオ(Sanzio)と署名するようになる。p6

 

シエナの装飾において、中堅画家が19歳のラファエロに下絵を任せたことは、若年ながら彼がすでに一定の評価を受けていたといえる。p18

 

ローマのラファエロの工房で特徴的なのは、すでに技術を習得した一人前の画家が制作に参加する、いわば共同制作者のチームであった点である。p34

 

16世紀当時、ラファエロの芸術の流布に貢献したのは、ニューメディア、版画だった。p36

 

第1章 聖母子画 

フィレンツェからローマへ、躍進と様式の変化

 

当時のフィレンツェでは、聖母子に幼い洗礼者ヨハネを加えて描くことが人気のテーマになっていた。p51-52

 

ペルジーノやレオナルドの学び模倣していったが、その一方人物のゆったりとした動きや、穏やかな風景模写から、絵画には優しげな美しさがあり、ラファエロ自身の特色を備えていく。p56

 

小椅子の聖母

聖母子画の伝統的な表現から見れば異例な表現

・椅子に座った聖母が首を傾けこちらを見るというポーズが独特

・聖母の衣装がターバンやオリエンタル趣味を施された緑色のストール。同時代的なファッションスタイル。

・こちらを向いた聖母とイエスの眼差しによって、描かれた人物と見る者との間に、親密な対話を生み出す効果がもたらされている。

 

ラファエロの聖母子画は、穏やかで優美な画面がキリスト教徒の敬虔な信仰心に寄り添うものであり、同時に、母子の情愛という普遍的な情感を作品に投影できる。p71

 

 

 

シャイヨからスシ屋へ(マルセイユ)

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マルセイユの街並みと旧港

再び宿泊地の窓から写真を撮ります。
手前の建物の下部をよく見ると、CHAILLOTという文字のようです。パリのシャイヨの丘、シャイヨ宮と同じです。
その名前を使った店舗が存在していたようです。
今はどうなっているのかグーグルマップで調べてみると、なんとスシ屋になっていました。まあ日本料理店自体は、二十年前でもフランス各地に見られたので、別に珍しいことでもないのですが。
まあ海の近くなので、ネタは新鮮でスシ屋向きなのでしょうね。
ちなみに店名はsushi or not sushiとなっています。
店の表示には日本語も見受けられましたが、それは「か否か」と書かれていました。
意味は一応正しいですが、どうやら日本人の店ではないようです。(笑)

マルセイユ旧港沿いの市庁舎

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マルセイユの旧港と港沿いの建築群

 

旧港そばで、ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院と反対側に目を転じます。
旧港に居並ぶ船は薄暗くなっているのに対し、海沿いの建物は斜陽に照らされています。
建物は画一的な感じなのですが、右の方に独立した建物を発見しました。
どうやらマルセイユの市庁舎のようです。
海沿いに市庁舎が在るなんて、さすがに港街です。
13世紀には、この場所には商人と執政官のためのタウンホール的な建物がありました。
1653年に、領事のガスパール・ドゥ・ヴィラージュにより、現在の建物のもとになる最初の礎が置かれました。
その建築の目的は、対岸に建てられていた、王権を象徴するアーセナル・デ・ガレールという強力な建築物に対抗するために、豪華なファサードを造りマルセイユ市の権威を演出するためでした。
1673年に完成し、18世紀に増築されました。
フランス革命時には、連邦主義者の巣窟と見なされ、取り壊しの恐れがありましたが、かろうじて免れました。
そして1943年、ドイツ軍によりこの辺りが破壊された時でも、この建物はなんとか残りました。
1948年4月30日には、歴史的建造物となりました。
潮風に吹かれ続け、歴史の荒波に揉まれても、この市庁舎は生き残り、マルセイユの街を守ってきたわけですね。

 

(マルセイユ市のHPを参考にしました)
 

マルセイユの旧港から見たノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院

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マルセイユ旧港から見たノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院

 

路地を抜けて、マルセイユの旧港沿いに着きました。
ノートルダム・ドゥ・ラ・ガルド寺院が、なだらかな丘の上から我らを見下ろしています。
標高は154mだそうです。
19世紀中頃に建てられたそうで、フランスの教会建築の中では、比較的新しいと言えるかもしれません。
この時は塔は工事中だったのが残念ですが、ビザンチン様式だそうです。
フランスの他の教会に比べて、東方的な異国情緒を感じます。
マルセイユにいる間、ずっと我々を見守ってくれる存在です。

 

(JTBワールドガイド'03 フランス を参考にしました)