Jules-Jacques Veyrassat作「オーセールの眺め」(ディジョン美術館)

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Jules-Jacques Veyrassat作「オーセールの眺め」

 

この絵画はJules-Jacques Veyrassat(1828-1893)による「オーセールの眺め」(Vue d'Auxerre 1865)です。
まずVeyrassatの読みがよくわかりません。ヴェイラサくらいでしょうか?
バルビゾン派に属する画家だそうです。
この絵も前回の作品と同じく、現地で観賞して、絵はがきを買っていました。
自分は風景画が好きなのですが、この絵は特に、一度訪問していたオーセールという街を描いているため、気にいったのかもしれません。
まず画家の視点はヨンヌ川のバタードー(Batardeau)と呼ばれた中洲からだそうです。今はその中洲はありません。
川の流れや街並みは今と違いますが、メインの建物は同じように残っています。
左から、背の高い木々の合間に位置するのは、サン・ピエール教会です。
そして中央にどっしり位置しているのはサンテティエンヌ大聖堂です。
右側に描かれているのはサン・ジェルマン修道院で、隣の尖塔はサン・ジャンの塔、と呼ばれています。
今も昔も、ヨンヌ川からの眺めに風情がありますね。

(ディジョン美術館のHPおよびwikiを参考にしました)

ジャン・ラロンズ作「シャロレーの漁師」ディジョン美術館

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ジャン・ラロンズ作「シャロレーの漁師」ディジョン美術館

 

この絵は、ジャン・ラロンズ(Jean Laronze 1852-1937)による「シャロレーの漁師」(Pécheur charolais 1901)です。
ディジョン美術館を訪問時に展示されており、気にいってその絵はがきを買っていました。
薄ぼんやりした背景の中、透明感を伴った水面上(アルー川とロワール河の合流点)に浮かぶ小舟に乗って、長い棒(棹?)を握って胸を張る女性の姿が逆光に映えています。
船上の三人は夫婦とその子どもかと思ったのですが、ジャン・ラロンズ友の会のHPでの解説によれば、男から見ると子どもは孫娘、と書いていましたので、おじいさんということになります。
確かによく見ると、あご髭も白く見えます。三世代同乗というわけですね。女性の夫はどうなったのでしょうか?
更に向こう、中洲のようなところに小さく描かれているのは洗濯婦だそうです。
ジャン・ラロンズのwikiでは、関連しそうな他の作品として、小舟の三人が祈っているモチーフもありました。ミレーの「晩鐘」を彷彿とさせます。
あと、小舟だけがぽつんと浮かんでいる絵画も掲載されていました。こちらはちょっと怖い感じがします。

この絵画の舞台であるシャロレーとは、ブルゴーニュ地方内の地域の名称だそうです。
そのシャロレーで検索しているとシャロレー種という肉牛が引っ掛かりました。
その肉のステーキかブフ・ブルギニオンをブルゴーニュの赤ワインと共に食べたくなってきます。

シャロレー地方の街シャロルには、1933年、ジャン・ラロンズ美術館が開館していました。
現在彼の作品はシャロルの小修道院美術館(Le Musée du Prieuré)に展示されています。

 

レダと白鳥の彫像(ディジョン美術館、彫像の間)

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レダと白鳥」の彫像(ディジョン美術館)

 

ディジョン美術館の彫像の間の画像です。
この部屋は昔、ローマ賞を受賞した生徒の作品の内、特に素晴らしい古代芸術の複製の作品群が展示されているそうです。
画像の作品はレダと白鳥の彫像です。左側の人物は彫像ではありません(当たり前だ・笑)
ギリシャ神話の主神ゼウスが白鳥に変身し、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダ(レーダー)を誘惑したというエピソードです。
ダヴィンチなど多くの芸術家によって扱われた、お馴染みのモチーフです。
後ろの彫像の右側はアポローン、左側はアフロディーテでしょうか。
更にはヘルメスなどの彫像も展示されていました。

 

ストラスブール周辺で、公共用自転車空気入れが60台も設置

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ストラスブール周辺の公共用自転車空気入れ

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ストラスブール駅近くで、公共用自転車空気入れを使用中

(アルザスストラスブール周辺で60台もの公共用の自転車空気入れが設置された、というフランスアンフォの記事がありましたので、掲載します)

CARTE - Strasbourg : voici les lieux où vous pouvez (enfin) regonfler les pneus de vos vélos

MAP-ストラスブール:ここに、自転車のタイヤを(ついに)再びふくらませることができる場所があります

Voilà une anomalie enfin réparée : Strasbourg, qui se targue d'être la capitale du vélo, se dote enfin de bornes de gonflage de pneus. Soixante pompes en libre-accès sont en cours d'installation près des arrêts de bus et de tram, partout dans l'Eurométropole.

ついに異常が改善されました。自転車の首都であることに誇りを持っているストラスブールに、タイヤ空気入れ装置が設置されています。ユーロメトロポール全体のバスとトラムの停留所の近くに、60台のフリーアクセス空気入れが設置されています。

Elles viennent compléter un paysage fait de pistes cyclables, de vélorues où le cycliste a la priorité sur l'automobiliste, d'arceaux pour attacher son vélo : des bornes de gonflage de pneus pour rendre le pays du vélo un peu plus beau encore. Et surtout plus pratique pour les amateurs de deux-roues. Car jusque-là, à Strasbourg, où la bicyclette est reine, on ne le répètera jamais assez, il n'y avait rien d'autre à faire que de la pousser quand elle se sentait un peu à plat...

サイクリングの国をもう少し美しくするためのタイヤ空気入れステーション、により、自転車専用レーン、サイクリストがドライバーよりも優先される自転車優先道路、自転車を留めるためのアーチ型のもの、で構成される風景を完成させます。そして何よりも二輪車の愛好家にとってより実用的です。それまで、自転車が王様であるストラスブールでは、空気入れを十分に繰り返すことができないので、少し平らに感じたときにそれを押す以外に何もできませんでした...

Alors qu'à Paris, Toulouse ou Montpellier, des bornes de gonflage en libre-accès étaient déjà proposées, Strasbourg restait à la traîne. L'Eurométropole rattrape d'un coup son retard : en installant à terme soixante pompes, elle maille tout son territoire, d'Eckwersheim tout au nord, à Plobsheim tout au sud. Des outils indispensables à la sécurité des usagers des deux-roues, puisque "70% des cyclistes circulent avec des pneus sous-gonflés", estime Fabien Masson, le directeur de Cadr67.

パリ、トゥールーズモンペリエでは、フリーアクセス空気入れがすでに利用可能だったのに、ストラスブールは後れをとっていました。しかしユーロメトロポールは突然追いついてきました。最終的に60台の空気入れを設置することで、北のエックヴェルスハイムから南のプロブスハイムまで、その地域全体をつなぎます。Cadr67のディレクターであるファビアン・マッソンは、「サイクリストの70%が空気圧不足のタイヤの自転車に乗っている」ので、二輪ユーザーの安全に不可欠なツールであると考えています。
(以前、ある自転車屋さんが、自転車を大切にする一番のコツは、空気をマメに入れること、とおっしゃっていたのを思い出しました)

Cet équipement est financé par l'entreprise spécialisée dans l'affichage publicitaire, JC Decaux, qui voit là l'occasion d'attirer le chaland cycliste à proximité des panneaux de publicité nombreux justement sur les abris de bus et de tram. Un "cadeau" qui entre parfaitement dans les plans de la Ville de Strasbourg pour faire progresser encore davantage l'utilisation du vélo dans l'Eurométropole. "Actuellement, un déplacement sur dix se fait à vélo sur le territoire, précise Laurie Wadier, chargée de mission sur ce dossier. L'objectif est d'atteindre un trajet sur cinq d'ici 2030".

この装備は、広告ディスプレイを専門とする会社JC Decauxによって資金提供されています。この会社は、これをバスやトラムの停留所にある多数の広告パネルの近くにサイクリストを引き付ける機会と見なしています。ユーロメトロポールでの自転車の利用をさらに促進させるというストラスブール市の計画に完全に適合する「贈り物」。「現在、この地域では10回に1回の移動が自転車で行われています」この事業の担当者ローリー・ワディエ氏は述べています。「2030年までに5回に1回となることを目標としています」
(このJC Decauxという会社は、停留所などでのオシャレな屋外広告で、トラムの資金的な援助にも一役かっていましたね。このような形の企業としての働きかけも興味深いです)

Des aménagements comme ces bornes de gonflage leur facilitent la vie et les encouragent d'autant plus à prendre le vélo. Par ailleurs, un budget de 100 millions d'euros sera débloqué par la collectivité dans les 5 ans à venir pour accentuer le développement de cette mobilité, avec notamment la construction de 120 kilomètres de nouvelles voies cyclables.

これらの空気入れ装置は、彼らの生活を楽にし、自転車に乗ることをさらに奨励します。この他に、この移動性の発展、特に120キロメートルの新しい自転車道の建設を促進するために、今後5年間で1億ユーロの予算が地方自治体によって支出されます。

 

ブルゴーニュ大公宮殿(ディジョン美術館)のファサードと歴史

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ブルゴーニュ大公宮殿(ディジョン美術館)のファサード

 

画像はブルゴーニュ大公宮殿のファサードです。
円柱やその上のレリーフなど、古代ギリシャ的な貫禄あるファサードに仕上がっています。
この建物には現在ディジョンの市役所と美術館が入っています。
美術館のHPにその歴史が書いてありましたので、相変わらずの拙訳してみます。

Du XIe au XVe siècle : l'actuel Palais des Ducs et des Etats de Bourgogne n'est qu'une simple forteresse adossée au castrum, édifié au IIIe siècle.

11世紀から15世紀:現在のブルゴーニュ大公宮殿は、(当時は)3世紀に建てられた砦を背にするシンプルな要塞にすぎませんでした。

1364- 1404 : le logis ducal est reconstruit et étendu par Philippe le Hardi, premier duc Valois

1364-1404:公爵夫人の邸宅は、ヴァロアの最初の公爵であるフィリップ豪胆公によって再建され拡張されました。
(この時期に、まずそれなりの宮殿が建てられたようです)

1681-1786 : les gouverneurs de Bourgogne puis l’assemblée des Etats agrandissent et transforment l’ancien palais des Ducs en palais des Etats de Bourgogne. En 1766 : François Devosge crée l’Ecole de Dessin de Dijon. Quelques années plus tard, celle-ci est installée cour de Flore puis dans la nouvelle aile le long de la rue Rameau.

1681-1786:ブルゴーニュの総督、そして国の議会は、かつての公国の宮殿を拡大し、ブルゴーニュの宮殿に変えました。1766年:フランソワ・デヴォージュはディジョンデッサン学校を創設しました。数年後、フローラ庭園に移設し、次にラモー通り沿いの新しい棟に移転しました。
(この時代に現代に近い建物が表れたようです)

1799 : ouverture du musée au public. L'État contribue largement à enrichir le musée par des dépôts : plus de 400 depuis 1803. Outre une politique d’acquisition active, le musée doit aussi une part importante de ses richesses à la générosité de ses nombreux donateurs : plus de 700 noms figurent sur les inventaires du musée.

1799年:博物館の一般公開。国家は、1803年以来400以上の作品によって博物館を豊かにすることに大きく貢献しています。積極的な買収政策に加えて、博物館はまた、その富のかなりの部分をその多数の寄付者の寛大さに負っています。博物館の目録には700以上の名前が記載されています。

1852 : une nouvelle aile est édifiée pour accueillir les collections, à l’Est, entre le palais et le grand théâtre.

1852年:宮殿と大劇場の間の東側にコレクションを収容するために新しい翼が建設されました。

1939-1945 : pour être protégées de la guerre, les œuvres du musée sont transportées et installées dans les châteaux bourguignons.

1939-1945:戦争から保護するために、博物館の作品はブルゴーニュの城に運ばれ、置かれています。

1970 : des travaux sont réalisés pour accueillir la donation Granville.

1970年:グランヴィルの寄付に対応するための作業が行われました。

(自分が訪問したのは、この間の2002年でした。美術館内の一部に、少し見すぼらしく感じる場所がありました。現在では以下の大々的な工事で綺麗に改装されているのでしょうね)

Septembre 2010 à janvier 2011 : déménagement des collections se trouvant dans les anciennes réserves pour libérer les espaces du 3e étage entrant en chantier dans le palais des Ducs de Bourgogne.

2010年9月から2011年1月:ブルゴーニュ公宮殿内で工事となる三階エリアを空けるために、過去のコレクションの移動

Janvier 2011 à avril 2013 : phase 1 des travaux de rénovation du musée des Beaux-Arts de Dijon – Parcours Moyen Âge et Renaissance et cour de Bar.

2011年1月から2013年4月:ディジョンの美術館の改修工事の1段階-中世とルネッサンスの展示ルートとバールの中庭。

7 septembre 2013 : inauguration du parcours Moyen Âge et Renaissance en présence de la ministre de la culture et de la communication.

2013年9月7日:文化通信大臣の立会いのもと、中世とルネッサンスの展示ルートが落成しました。

Septembre 2015 – janvier 2016 : déménagement des collections se trouvant dans les anciennes réserves, en sous-sol, pour libérer les espaces entrant en chantier puis déménagement des collections des salles d’exposition permanente concernées par la phase 2 des travaux.

2015年9月-2016年1月:地下に古いコレクションを移転して、改装のスペースを空け、その後、作業の2段階目で関係する常設展示室のコレクションを移動します。

Février 2016 à décembre 2019 : seul le parcours Moyen Âge et Renaissance reste ouvert au public - les autres espaces extérieurs et intérieurs du musée sont en chantier : cour de Bar, place de la Sainte-Chapelle, ailes XVIIIe et XIXe, tour de Bar, cuisines ducales...

2016年2月から2019年12月:中世およびルネサンスの展示ルートだけが一般に公開され、他の屋外スペースや博物館の内部、バールの中庭、サン・シャぺル広場、18・19世紀翼、バールの塔、デュカルの台所は工事中。

Janvier à mai 2019 : tout le musée est en travaux - seule la salle des tombeaux reste accessible au public - réception des travaux, installation des oeuvres, de la signalétique, des outils de médiation, aménagement de la librairie boutique...

2019年1月から5月:博物館全体が工事中です-墓室のみが一般にアクセス可能です-作品の受領、作品の設置、説明板、解説機器、書店の整備...

17 mai 2019 : ouverture du musée métamorphosé

2019年5月17日:大改装した美術館の開館

 

ディジョンのサン・ミシェル教会の様式と歴史

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ディジョンのサン・ミシェル教会のファサード

 

古の写真で巡るフランス、今回からはディジョンを取り上げます。
15年ほど前にもブログで書いているのですが、改めて見直したり、付け足したりしたくなることもありましたので、再トライしてみます。
まず最初、画像のサン・ミシェル教会についてです。圧倒的なファサードが印象的です。
当時参考にしたJTBのワールドガイドには15世紀のフランボワイヤン様式と17世紀のルネサンス様式が混ざり合った、と書いてありました。
フランボワイヤン様式とは火炎様式とも呼ばれ、窓や装飾の紋様が、炎が波打ち燃えさかるような複雑な形の曲線で描かれている様式とのことです。
更には石のレース、とも、たとえられています。
しかし画像を見ると、そんなに炎的には見えません。
教会やwikiなどのHPを参照してみると、どうやらファサードのメインはルネサンス様式で、画像では見えない身廊などがゴシック様式とのことです。
フランボワイヤン様式自体は後期ゴシックの装飾、付加的な部分の表現することから、一部にはその様式があるのかもしれませんが、説明文の中には、フランボワイヤンのフの字も出てきていませんでした。

以下に、HPから拾った歴史的事項をまとめておきます。

6世紀頃
サン・ミシェル教会の起源となる木造の礼拝堂があった。
1098年まで、サンテティエンヌ修道院に属していた。
1020年
ラングル司教のランバールにより、ロマネスク様式の教会が聖別される。
15世紀末 教会が荒廃する
1497年7月17日
新しい教会の建設について信者を含め協議され、決定する。
1499年8月6日
ジャン・エグノール市長が建設等を許可する
1511~1525年
身廊が建設される
1570年
ファサードの工事が中止
1650年頃
ファサードの工事が再開
1659年
南(右)塔が完成
1667年
北塔が完成

 

コンピエーニュ城のファサードと歴史

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コンピエーニュ城のファサード

 

古の写真で巡るフランスシリーズ、コンピエーニュ編の最後の写真になります。
コンピエーニュ城のファサードを間近から撮ったものになっていました。
ここでコンピエーニュ城の歴史を簡単にまとめておきます。

1370年頃 シャルル5世がここに城館を建てる
ルイ14世は狩りのため75回ほどコンピエーニュに立ち寄る。
1751年以降 ルイ15世の宮殿が置かれる。
マリー=アントワネットと未来のルイ16世の初めての対面の場となる
ルイ15世は、建築家のアンジュ=ジャック・ガブリエルに命じて、それまでの城館を今日の新古典主義の建物に改築させる。
大革命時 城にあった全ての調度品が競売にかけられる。
ナポレオン1世が建築家のルイ=マルティン・ベルトーに改修を命じる。
1810年3月 ナポレオン1世がこの場所に未来の妻で皇妃となるオーストリア皇女マリー=ルイーズ・ドートリッシュを迎え入れる。
第二帝政期(1852-1870) コンピエーニュ城の華やかな時代
ナポレオン3世と皇妃ウージェニーが毎年秋に狩り、小旅行、ゲーム、コンサート、演劇などの大規模な催しを行う。
第二帝政崩壊後、1874年に美術館と生まれ代わる。
1926年、乗り物博物館が建物内に置かれる

(メゾン・デ・ミュゼ・デュ・モンドのHPを参考にしました)