フィレンツェ史(上) マキァヴェッリ著

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フィレンツェ史(上)
齊藤寛海 訳
2012年3月16日 第1刷発行
 
このフィレンツェ史、枢機卿ジューリオ・デ・メディチを学長とするフィレンツェ大学から、1520年11月8日付けの学長の決裁を得て、マキァヴェッリに正式に依頼されたものである。
(やはりメディチ家との関係の好転によるものだと思われる)
 
この本では、第1巻でローマ帝国の衰退から1434年まで、イタリアの出来事を簡潔に述べていく。
第2巻は、フィレンツェの起源から、アテネ公を追放したあと、教皇との戦争にいたるまでを述べる。
第3巻では、ナポリのラディズラーオ王の死去とともに、1414年で終わる。
第4巻では1434年まで書き進んでいく。
 
フィレンツェでは、最初は貴族内部で対立が生まれ、ついで貴族と平民が対立し、最後に平民と下層民が対立した。この本では、そのようなフィレンツェ内部の闘争を主に記述している。
(このような闘争史を読んでいると、フィレンツェの内乱のさまを憂えたダンテの嘆きを思い出してくる)
 
イタリアそれ以外の属州では、アルカディウスとホノリウスからテオドリックに至る時代(395~526あたり)、もっとも悲惨な時代であった。
政府や君主だけでなく、法律も、慣習も、生活様式も、宗教も、言葉も、服装も、名前も替わってしまった。
 
貴族が持つ命令したいという願望と、平民が持つ隷従したくないという願望。この両者の間に横たわる深刻かつ当然の敵対関係が、もろもろの都市で生じた災厄すべての原因である。
 
とりわけ共和制の名の下に統治されて、秩序の確立していない都市は、その政府と体制がしばしば交代する。
その交代は自由と隷属の間の交代ではなく、隷属と放縦の間での交代である。
隷従の体制は善人に嫌われ、放縦の体制は賢人に嫌われる。
隷従の体制では悪事を行うのが容易であり、放縦の体制では善事を行うのが困難である。
隷従の体制では傲慢な人々が過度の権限を持ち、放縦の体制では暗愚な人々がそれをもつ。
いずれの場合にしろ一人の人物の力量や幸運によって維持されなければならないが、この人物はあるいは死によって力を失い、あるいは奮闘した挙句無用になる。
(現代の民主主義国も、しょせんこのような感じかなと思ってしまう)