ジョワニーのサン・ジャン教会とゴンディ城

ジョワニーのヨンヌ川とサン・ジャン教会とゴンディ城

 

ヨンヌ川沿岸からジョワニーの街を撮ります。
この街は、規模こそ違いますが、オーセールと同じようにヨンヌ川沿いの小高い丘にできた街です。
川の水運を利用でき、なおかつ小高い場所ですので、街の防衛や安全にも都合がよかったのでしょう。
一番上に聖堂が見えます。
これはサン・ジャン教会で、その向かって右側の建物はゴンディ城です。
ちょうど街を見下ろすような位置にあることから、建物の重要性が伺えます。
これらの建築物について、ジョワニーの観光案内所のHPから引用します。
まずはサン・ジャン教会から

 

L’ÉGLISE SAINT-JEAN , près du château des Gondi, domine toute la ville. Elle a été reconstruite plusieurs fois au cours des siècles. L’édifice actuel date pour l’essentiel du XVIe siècle, après l’incendie de 1530 . Elle a été achevée en 1596 par l’architecte jovinien Jean Chéreau.

La voûte de la nef est remarquable ainsi que le sépulcre de marbre blanc et le tombeau de la comtesse Adélaïs de Joigny décédée en 1187.
  
ゴンディ城の近くにあるサン・ジャン教会は、町全体を見下ろしています。何世紀にもわたって何度も再建されてきました。現在の建物は、1530年の火事の後、主に16世紀のものです。ジョワニーの建築家ジャン・シェローによって1596年に完成しました。

白い大理石の墓と1187年に亡くなったアデライ・ドゥ・ジョワニー伯爵夫人の墓と同様に、身廊の丸天井も注目に値します。

 

次にゴンディ城については

 

LE CHATEAU DES GONDI, bâti entre 1569 et 1613, a succédé à plusieurs châteaux. construits sur le même emplacement. Jean Chéreau, architecte jovinien, fut un des maîtres d’œuvre, réalisant un bel édifice Renaissance.

Le corps de logis et le pavillon d'angle offrent un décor riche, suivant l'évolution de l'architecture entre le XVIe et XVIIe siècle.

Proche de l’église Saint-Jean, il domine toute la ville. Il a été restauré à la fin du XXe siècle. il ne se visite pas.

1569年から 1613年にかけて建設されたゴンディ城は、同じ敷地内に建設されたいくつかの城を継承しました。ジョワニーの建築家であるジャン・シェローは、美しいルネッサンス様式の建物を建設した名匠の1人でした。

本館と隅のパビリオンは、16世紀から17世紀にかけての建築の進化に沿った豪華な装飾が施されています。

サン・ジャン教会の近くにあり、町全体を見下ろしています。20世紀末に復元されました。見学は出来ません。

 

どちらも元は16世紀の建物です。1530年の火事の復興的な役割もあったのかもしれません。
また両方とも地元の建築家ジャン・シェローが関わっています。
ジョワニーの歴史にとっては外せない重要人物なのでしょうね。

夜のにゃんこの可愛い瞳

夜のにゃんこ
うちのにゃんこです。
夜は瞳が真ん丸くなるのかな。
より可愛くなっていますね。
昔の忍者はネコの目で時間を知ったそうです。
今は何時なのでしょう?
 

夜のにゃんこ

何時でも可愛いけりゃいいのにゃ

ニャーニャー、ニンニン

 

ブルゴーニュの街、ジョワニーのブドウ収穫祭

ジョワニーのブドウ収穫祭の様子

 

ジョワニーのブドウ収穫祭の様子

朝にAccolayの村を出て、Joignyジョワニーという人口一万人ほどの街に行きます。
なぜこの特に知られていない、小さな街に行ったのかというと、FETE DES VENDANGESブドウ収穫祭が行われていたからです。
この2001年で第11回目でしたが、現在行われているかはよくわかりません。
画像がその様子です。
民俗衣装というか、郷土衣装らしき服装に身を包んだ人たちが目立ちます。楽器の演奏やダンスなども行われていました。
一番の売り物は、ワインの販売関係なのでしょうが、それ以外の食べ物、飲み物、関連商品の展示販売なども行われていたようです。
上の画像を見ると、BOULANGERIE-PATISSERIEパンやお菓子があり、下の画像では鶏肉・ジビエ・卵の看板があります。
またAUX POISSONS D'AVRIL、4月の魚、とはどういう意味かと思ったのですが、調べてみるとエイプリルフールという意味でした。
奥の看板にはBOULONNAISと書かれていますが、北仏パ=ド=カレ県あたりの地方です。
その他シャンパンやりんごジュース、チーズ、ブルターニュのクレープやガレット、シードルなどの販売も行われていたようです。
ここでワインを買い込んでいる同行の方もいました。

 

うちのにゃんこと猫草

うちのにゃんこと猫草

にゃんこのそばの植物は、猫草というそうです。

食べると身体に良いらしいです。

しっかり食べて健康になってね。

 

猫草を食べるにゃんこ

ふにゃん、ちょっと食べにくいのにゃ~

 

ブルゴーニュのAccolay村のさりげない村役場

Accolay村の村役場

 

Accolay村の朝の散歩時に、画像のようなMAIRIE、村役場を見つけました。
全体的に地味な感じです。MAIRIEの標示下には村のエンブレムがあるのかもしれません。よくわかりません。
Accolay村のHPによると、この村はブルゴーニュ・フランシュ=コンテ地域圏のヨンヌ県、オーセール郡、ジュ=ラ=ヴィル(カントン)に歴史的および行政的に位置しています、とのことです。
そして2017年1月1日以降、アコレーとクラヴァンの2つのコミューンで構成されるドゥ・リヴィエールと呼ばれる新しいコミューンに属しています、と書いてありました。
つまり合併したわけです。
ドゥ・リヴィエールとは二本の川という意味です。二川村という感じでしょうか。村内を流れているキュール川とニヴェルネ運河を表しているのでしょうか?どことなく人工的な村名ですね。
ただ、今でもAccolay独自のHPが存在するわけで、おらが村という意識はそう簡単には消えないようです。
2016年1月1日のアコレーの人口は419人です。
この村の歴史は6世紀、ガロ・ローマン(ローマ支配下ガリア)時代にはじまるそうです。
産業としては、ブドウ栽培、川を利用した木材搬出、などが行われ、20世紀からは国際的に評判の高いモダンアートの陶器の製造も行われているそうです。
また村内の教会 (11~18世紀) には、17世紀末の祭壇画によって、木製の丸天井の古典的な身廊から分離されたロマネスク様式の内陣と後陣があります。また、1695年にさかのぼる、歴史的建造物として登録された3つの彫像があります。
もう今はこの村役場はなさそうですが、合併しても引き続きAccolayとしての歴史も刻み続けています。
 

ブルゴーニュの小さな村、accolayの眺め

ブルゴーニュの小さな村、accolayの眺め

 

早朝、ブルゴーニュの小さな村、accolayをさまよいます。
見晴らしのいいところに出ました。
畑一面に、緑の作物が生い茂っています。
植物に疎い自分にとっては、なんの作物だかよくわかりません。
部分的に咲いている黄色い花が、さりげないアクセントとして、単調な緑を引き立てています。
右手には少し小高い斜面。
ブドウ栽培にも向いている場所かもしれません。
左手にはポツンと教会。
小さいながらも、尖塔が曇天を突いています。 
コミューン(市町村)、特に村では、教会の鐘が聞こえる範囲がそのエリア、という話を聞いたことがあります。
ここは、その典型例なのかもしれません。
原風景を見る思いです。

 

暑さに負けないにゃんこ

暑さの中のにゃんこ

 

暑い日が続きます。

にゃんこも少し疲れ気味かな?

 

暑さに打ち勝つにゃんこ

 

にゃんの、にゃんの

これしきの暑さには負けないのにゃ