ブールジュの大聖堂北塔から見た飛び梁、そして円形交差点について

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ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂北塔から見た身廊と飛び梁、そしてストラスブール大通り
ブールジュの大聖堂北塔から身廊を見下ろします。
屋根から伸びる飛び梁も上から見ることができます。
梁の上の小尖塔は19世紀に付け加えられたものです。
屋根の延長線上に、ちょうど大通りが伸びています。
ストラスブール大通りと呼ばれています。
通りの名前の由来はよくわかりませんが、大聖堂から東へ伸びていることが関係しているのかもしれません。
その突き当たり、画像ではよくわかりませんが、Googleマップで確認すると円形交差点になっていました。
イギリス語ではラウンドアバウトアメリカ語ではロータリー、そしてフランス語ではロンポワンと呼ばれます。
安全面やUターンのしやすさで、日本でも広まってもよさそうですが、試行はされているものの、慣れの問題や土地の関係からか、まだ一般には広まっていません。
ブールジュのこのロンポワンの場所はPlace Malusとなっていました。
マリュース広場というわけですが、Malusの意味を辞書で調べてみると、ラテン語由来で、(事故歴による)自動車保険料の割り増し、と書いてありました。
ロンポワンを安全に通って、保険料の割り増しを無くしましょう、という切なる願いが込められているのかもしれません。

ブールジュの大聖堂北塔から見た大司教庭園

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ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂北塔から見た大司教庭園

ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂北塔から、別方向を見下ろします。
放射状や長方形で形成された庭園を臨むことができます。
ここはJardin de l'Archevêchéと呼ばれています。大司教区庭園、とでも訳すのでしょうか。
ブールジュの観光案内のHPによると、フランス式庭園で、17世紀に有名な造園家ルノートルの弟子により設計されたそうです。
思わず「かの魯山人の愛弟子」というフレーズを思い出してしまいました(笑)。
地味なのは訪問した時期のせいかもしれません。HPの画像を見ると、色鮮やかな多くの花が植えられていました。
野外音楽堂(キオスク)も見えます。これは設置されて百年ほど経つそうです。
庭園の名のとおり、ブールジュはフランスに18ある大司教区の一つです(アポロ仏和辞典より)。
前回、ブールジュは県庁だが地域圏の首府ではない、とか書いていました。大司教区というのも、俗世とは違う宗教的なものとは言え、都市格を表す一つの重要な地位といえるのでしょうね。

ビーフストロガノフの料理名の起源は?

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NHKロシアゴスキーテキスト

先日、NHKのテレビロシア語講座「ロシアゴスキー」を何気なく見ていたら(ロシア語を勉強しているわけではないのですが・笑)ビーフストロガノフを食べるシーンが出てきました。
その中で、この料理名の由来を述べていました。
それによると、昔、ストロガノフさんが食事会を開いた時、ビーフステーキを出したのですが、お客さんの中に戦争で片手を失った将軍がいました。
気づいたストロガノフさん、じきじきに牛肉を細かく切ってあげました。
それ以来、牛肉を細かく切った料理をビーフストロガノフと呼ぶようになった、とのことです。
ただテロップには、よくある「諸説あります」と出ていましたが。
この話を聞いて、かなり前に、ウズベク共和国(現在のウズベキスタン)のラジオ・タシケントからいただいた手紙を思い出しました。
というのも、その放送局の英語番組を聴いて、受信報告書を送ったのですが、その中でビーフストロガノフの名前の由来について質問したのです。
なぜそんな質問したかというと、井上靖さんだったかのウズベク共和国での紀行文でビーフストロガノフが出てきて、井上さんご自身も疑問に思っていたからです。
その手紙に対して、ラジオタシケントのスタッフの方から丁寧なお返事を頂きました。
多くの海外の放送局に受信レポートを送りましたが、個人的にしっかりした内容のお返事を頂くことは珍しいので、すっかり感激してしまいました。
その手紙を読みなおすと、
ストロガノフというロシア人商人がいて、彼の趣味は料理で、更には独自の料理を発明していた。
その一つとしてストロガノフ流の牛肉料理を生み出し、ビーフストロガノフと呼ばれるようになった…
と書かれていました。
手紙の中には、レシピも書いていただいていました。
wikiを読んで見ると、確かに諸説ありますね。
どの説が正しいかはよくわかりませんが、心情的にはやはり丁寧な手紙をいただいた分、ラジオタシケントの説を推したくなります。

ブールジュの大聖堂北塔から官庁街を見る

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ブールジュの大聖堂からの眺め
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂北塔からの眺めです。
南塔の黒いとんがり屋根を見下ろしています。
その向こうには、何やら貫禄のある建物が見えます。
グーグルマップで確認してみると、Cité administrative Condéとのパネルを発見しました。コンデ官庁街とでも訳すのでしょうか?
この過去を調べてみると、もともと1682年に、この地に神学校が建てられたそうです。
更に革命後、建物は兵営、兵舎となりました。
そして1949年以降、行政機関として使われています。
現在、入り口のパネルをみると、IMPOTSとデカデカと書かれていたので、税務署的な建物なんでしょうね。

この建物だけでなく、この辺りには市役所、県庁、更には地域圏(州)関連施設と、行政機関が揃っていました。
ブールジュはシェール県の県庁所在地ですが、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏の首府の座は、残念ながらオルレアンに取られています。
wikiを見ていると、印象派の画家ベルト・モリゾはここブールジュの生まれ(1841年)だったとか。
というのも、お父さんがシェール県の知事だったからです。
ただその後あちこちの知事を歴任した後、パリに落ち着いているので、彼女の跡形はなさそうです。
でもひょっとしたら、「ここでベルト・モリゾが生まれた」的なパネルくらいはあるかもしれませんが。

ブールジュの大聖堂北塔の風見鶏(フランス)

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ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の風見鶏
 
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の北塔屋上に昇ります。
そこには画像のような風見鶏がありました。
風見鶏自体は大聖堂の尖塔の上とかでもよく見かけます。パリのノートルダム大聖堂の風見鶏が、あの大火災にも関わらず、奇跡的に残っていたというニュースが伝わっていました。
装飾が植物をあしらったような感じです。アールヌーヴォ様式でしょうか?
覆いの下には鐘らしきものがあります。
あと、ちょっとした機械のようなものも取り付けられています。
風向や風速を計り、そのデータを送るためのものか、鐘を鳴らす仕組みなのか、それ以外の用途なのか、見当がつきません。
とにかく風見鶏は、大聖堂の塔の上から、ブールジュの街を見下ろしていたのでした。

ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂のファサード

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ギシェ通りから見たブールジュのサンテティエンヌ大聖堂のファサード
 
再び、ブールジュの大聖堂を目指します。
ファサードの全体像を捉えるのは難しいのですが、ギシェ通りからは、中央扉口、バラ窓、そして南北の塔の姿をなんとか垣間見ることが出来ました。
塔の形は揃っていません。
同じ形の方が統一性があり美しいと思うのですが、別々なのもお互い自己主張しているようで面白く感じます。
現実的には、なにぶん年月のかかる大工事であるため、諸事情により統一性を持たせるのが難しかったのでしょうが。
似たような例として、シャルトルの異なった形状の尖塔や、ストラスブールの片方だけの尖塔を思いだします。

 

こちらブールジュでは、黒いとんがり屋根の方が南塔になります。
こちらは鐘楼の形をしていますが、鐘自体はないため、耳の聞こえない塔、と呼ばれているそうです。
北塔は16世紀初めに倒壊したのですが、ルネサンス様式で再建されたそうです。
この北塔の上、画像で見ると危なっかしそうですが、上にのぼることが出来ました。
大聖堂に入り、らせん階段をのぼっていきます。

 

(週刊 世界遺産 No.41を参考にしました)

ヨーロッパの民族学(第3章~第5章)

第三章 遺産の継承、同化、革新
Ⅰ 古代ギリシャ・ローマ文明からの継承
1 ロマンス文化圏
ラテン語化」「都市化」「市民性」
 
軍隊とカトリック教会という二つの権威が「ロマニア」の人々を近づける。
 
イタリア、ルーマニア、フランス、スペイン、ポルトガル
シチリア、カタロニア
ロマンシュ圏またはフリウーリ圏
 
2 ギリシャビザンチン文化圏
文化圏形成の中心となった言語が、35世紀(!)にわたり存続している。
 
Ⅱ 「蛮族」からの継承
1 ケルト文化圏
 
2 ゲルマン文化圏
 
3 スカンディナヴィア文化圏
 
4 スラヴ文化圏
 
5 バルト文化圏
ラトヴィア人とリトアニア
 
第四章 アイデンティティの危機
Ⅰ ヨーロッパの中のヨーロッパ人
1 さまざまな理論形成またはイデオロギーによる正当化:旧ソヴィエト連邦における民族の理論
 
2 連邦内のヨーロッパ系諸民族:アイデンティティの喪失と再発見
 
3 国民運動と民族闘争
 
Ⅱ 他者の中のヨーロッパ人
紀元前のインドのギリシャ人、アフリカのローマ人、中世のパレスチナにおもむいた十字軍やエルサレムの王たち、近世のメキシコのコンキスタドール、北アメリカの植民者たち
 
1 ラテン系モデルの植民
15世紀半ばから18世紀終わりまで、商業資本主義の飛躍と結びついている。
 
2 ゲルマン的モデルの植民
オランダ人やイギリス人は、組織された商人として海外へでかけた。
 
3 植民の古いモデルと新しい帝国
 
Ⅲ ヨーロッパのヨーロッパ人と外国人
1 同化と疎外の歴史:ユダヤ人とジプシー
 
2 同化か追放か:アフリカ人とアジア人
 
3 文化変容の受け入れと連帯の承認:(フランスでの)レバノン人とアルメニア
同化への個人的計画や地位の向上の機会や危機を、親類縁者の援助によって支えながらも、婚姻や親子の関係を超えて彼らを結びつけている絆をメンバーの中で維持しようとする。
このようにしてグループは、一世代あるいは二世代で社会の周縁に押しやられたり、領域的に周縁化することをまぬがれている。
 
第五章 好みと価値観と信仰
Ⅰ 食物の好みと結婚の選択
1 食性と料理
 
2 配偶者選択のタブー、規則、好み
ラスレットのよる4つの家族のタイプ
「北部ヨーロッパ」タイプ
晩婚と、新居住と、核家族とに基礎を置き、子供は計画出産である
「中部ヨーロッパ」タイプ
ゲルマンやバルトのヨーロッパで優勢。前者とは違い、始祖の家系(本家)や「家」の永続性や一子相続を重要視する。
「地中海」タイプ
女性の早婚が特徴。配偶者間にかなりの年齢差があり、再婚にはある程度抵抗があり、複合家族の割合が多い。
「東部ヨーロッパ」タイプ
結婚が早く、夫との年の差は大きい。再婚は頻繁であり、若いカップルが両親に依存するしきたりがある。一般に、結婚した子供は両親と生活を共にする。p117
 
Ⅱ 世界の呪縛と覚醒
1 世界の呪縛と芸術表現
 
2 世界の覚醒と聖なるものの新しい姿
・古代ヨーロッパの神話と寓話
・スラブ語圏のフォークロア
儀礼の形と目的