パリ解放 1944-49 第2部 国家、それはドゴールなり

第9章 臨時政府
ドゴールの臨時政府と共産党の争い
共産党指導者は、ドゴールはフランスのケレンスキーであり、トレーズは権力に復帰しようとしている自分たちのレーニンであると確信していた。

第10章 外交団
パリに集まった外交団は快楽主義者と厳格主義者に自動的に二分されたように見えた
(こうなってしまうのも、いかにもパリらしい)
ソ連スターリンと会談いるドゴール一行

第11章 解放した者と解放された者
ヤミ市の横行
ドゴールによる軍事パレードや戦争祝賀さえも連合国に悪感情を生みだした

第12章 砲列線上の作家・芸術家たち
対独協力を非難される可能性のある作家、ジャーナリスト、俳優、、美術家もとどまるか、逃げるかの選択を迫られていた。

第13章 帰還
パリに戻ってきたさまざまな帰還者
パリ市民がその帰還を生涯忘れなかったのは、1945年春にドイツから戻ってきた「抑留者」(デポルテ)
デポルテには三種類ある
絶滅収容所に送られたユダヤ人その他の少数民族
強制収容所に送られたレジスタンス活動家
ヴィシー政府が強制労働に送りだした徴用者

第14章 大裁判
「フランス人ゲシュタポ」の裁判
解放後に存在した状況のなかでは、正義を落ち着いて実行するのは不可能だった
ペタン元帥やラヴァルの裁判

第15章 新しさへの渇望
1945年秋の実存主義の大流行。サルトルボーヴォワール。「レ・タン・モテルヌ」
ピカソ共産党入党

第16章 洪水のあと

第17章 政府内の共産主義者たち
1945年、フランス共産党は国内最強の政治組織であった。
しかし、赤軍によるドイツのソ連占領地域での強姦と略奪、殺人が共産党のイメージを悪くした。

第18章 シャルル11世の退位
ドゴールの辞任