アウグスティヌス 「心」の哲学者 岩波新書

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アウグスティヌス
「心」の哲学者
出村和彦 著
2017年10月20日 第1刷発行
岩波新書 1682

古代末期ローマ帝国地中海世界に生きたアウグスティヌス(354-430)
西欧最大のキリスト教思想家、特に神の恩恵を絶対視する原罪論や、予定説という強力な神学を打ち立てて後世に大きな影響を与えた神学者
三位一体というキリスト教教義の確立者の一人で、「神の国」や「告白」の著作が有名

アウグスティヌスの生きた時代は「古代末期」と呼ばれる。
繁栄の時代はすでに遠く過去のものとなり、ローマ帝国は黄昏の時期にさしかかっていた。
ギリシャ以来の古典古代は相継ぐ戦乱と混乱のうちに、徐々にキリスト教中世へと変貌していく。

最初アウグスティヌスは、文法学者の目で聖書のテクストを見ている。
聖書のテクストと古典のテクストとの境界に立っていたと言えるかもしれない。しかし、このように聖書と古典との境界に立つことが、キリスト教と哲学とを架橋するアウグスティヌス独自の思考法につながっていくのである。p17-18

カルタゴで修辞学教師となるアウグスティヌス
しかしカルタゴの学生たちは粗野で、授業中、教室に乱入して暴れ回る事件が多発していた。
それに嫌気がさしたアウグスティヌス。ローマで教師の仕事を続ける。ローマの学生たちはおとなしかったが、かえってずる賢く、月謝を払う直前になると示し合わせて姿をくらますこともあった
(このセコさに、思わず笑ってしまいました)

30歳の秋、ミラノに招かれてきたアウグスティヌス
ここで司教アンブロシウスに出会う。
アンブロシウスは、実際には単なる聖職者というよりむしろ、キリスト教の利害を代表する政治家であったと言う方が近い。

「告白」というと、懺悔録のように、過去の過ちの打ち明けを連想する。しかし、アウグスティヌスにとっての「告白」とは、弱い自分に示された神からの無償の憐れみと許しに感謝し、そのような恵みをもたらす神の偉大さを賛美することであった。
「告白」は懺悔録ではなく賛美録である。p94

神の国
アウグスティヌスが一貫して考察している「神の国」とは、神が君主として支配する「王国」のようなものではない。
ましてや人々が死後に行く「天国」のことでもない。
ここで言う「国」とは、古代ギリシャのポリスに相当する都市国家である。
英語で言えば、シチズン(市民)によって構成されるシティ(市民の集まり、共同体)を意味する。p146

アウグスティヌスは死に臨んで遺言を残さなかったと伝えられる。
しかし多面的かつ膨大な数にのぼる著作、書簡、説教がほぼ完全に保存されたばかりか、アウグスティヌス自身による校訂を経て、ほぼ執筆年代順に編集された覚書「再考録」も、我々は手にすることが出来る。

(アウグスティヌスの生涯を読んで、彼の思想や人生において、いかにも古代と中世、哲学と宗教の狭間に生きていた人だったんだなあと痛感しました)