消えた国 追われた人々 東プロシアの旅  前半

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消えた国 追われた人々 東プロシアの旅
池内 紀  著
みすず書房
2013年5月10日 発行

いわゆる東プロシアと呼ばれた国の都市やその周辺の、2002年から2008年にかけての紀行記です。
日本ではほとんど知られていない地域の歴史をさかのぼる、極めて興味深い旅行記が仕上がっています。

北部ポーランドと隣り合ってロシアの飛び地カリーニングラード州があり、その北にリトアニアがある。1945年以前から過去700年にわたり、東プロシアは、これら三つのどれにも、範囲を違えて重なっていた。
この国は町ごとに人種の構成が違っていた。ある町はドイツ人が、別の町はポーランド人が、そして別の町はロシア人、また別の町はリトアニア人がつくった。どの町にも少数のよそ者がいて、その多くがユダヤ人だった。

おおかた七百年前後の歴史をもっている。その頃、ドイツ人の東方進出が盛んになっていたからだろう。
「笛吹き男」伝説で有名なドイツ中央部の町ハーメルンでは、事件があったのは1260年6月のこととされている。
これにはいろんな説があるが、その一つによると、当時、ドイツ騎士団のつくった東方からの呼びかけに応じ、一家をあげて移っていく人が続出した。そのため町が一挙にさびしくなった。

ポーランドで故郷の町に行き当たった。なんとも変な感じである。ずっとごぶさたしていた人と、思いもかけぬ異国でばったり出くわした具合だ。
その名をマリーエンブルグ(「マリア城」)といい、ドイツ人住民の強固な砦だった。
城には城下町がつきものだ。人間が考えること、またやらかすことは洋の東西を問わない。
(池内紀さんの郷里は天下の名城で知られている兵庫県姫路市です)

プロシアは時代によって少しずつ変化はあったが、ほぼ次の4つの地方から成り立っている。
メーメル地方(現リトアニア)
サム地方(現ロシア)
エルム地方(現ポーランド)
マズーリ地方(現ポーランド)

中世から近世にかけて、どの地方もおおむね聖職者が行政官を兼ねていた。更に司法も兼務していた。
天文学で名を残しているコペルニクスカトリックの司祭かつ東プロシアの行政マンだった。

ナチスドイツの「バルバロッサ作戦」と呼ばれる対ソ連侵攻のための極秘指令
それに先立ち「総統大本営」と呼ばれたものの建設が進められていた。戦線に近いところで、ヒトラーが直々に指揮をとる作戦本部。「狼の巣」と呼ばれた。
プロシアの、現在ケントジンという町近くの湖沼地帯に存在した。
ヒトラーはここに対ソ連開戦の2日後の1941年6月24日から1944年11月20日までの間の内、八百五十日滞在した。