フランス現代史 隠された記憶 第二部 第二次世界大戦

第四章 ユダヤ人移送の十字架 背負い続ける罪
パリ北郊のドランシー市にあった収容所。ドイツ占領下のフランス政府は国内のユダヤ人をここに集め、ポーランドアウシュビッツ強制収容所などに鉄道で送り込んだ。

第五章 「ヴィシー政権」 対独協力の記憶
人口二万五千人の静かな街ヴィシー
著者は社命留学で、この街のフランス語学校に通っていた
(語学留学でヴィシーを選んだのば渋いというか凄いことだと思う)

ペタンの流刑地で墓地があるフランス西海岸沖に浮かぶ人口4700人のユー島
没後64年目の追悼式で、墓に献花し祈りを捧げたのは、筋金入りの右翼の二団体のメンバー約50人だった。

第六章 悲劇からの出発 オラドゥール村の葛藤
第二次世界大戦末期、この村に突如現れたナチス親衛隊が、機関銃掃射と放火で642人を虐殺した。
仏独の問題であるとともに、アルザスの問題でもある。その親衛隊の中に、当時ドイツ領だったアルザス地方の出身者がいたからだ。大半はナチスによる強制徴用で、「自らの意思に反して」のフランス語から「マルグレ・ヌ」と呼ばれる。

第二次世界大戦においても、力関係が対等に近い参戦国の間では、戦後に歴史認識巡る重大な争いは、ほとんど起きていない。植民地支配など対等な関係になかった国々の間では、かつての支配国側の優越感と、支配された側の屈辱感が、和解を妨げている。p177.178

第七章 レジスタンスとフランス 心のより所
レジスタンスの足跡が数多く残るリヨン
クロワルースの丘一帯は、抜け道「トラブール」が存在し、レジスタンスの活動に好都合だった。

第八章 ドゴール・フランス・アルジェリア 残った遺恨
ドゴールがアルジェリアの独立を認めたことで、現地の入植者やフランス軍のために戦った現地兵士「アルキ」が見捨てられたと憤慨した人たちが「プチ・クラマール事件」という、ドゴール暗殺未遂事件を起こす。