海と日本人の歴史

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海と日本人の歴史
高橋千劔破 著
2012年3月30日 初版発行
河出書房新社 発行

古代から中世へ
江戸時代の海運と海の男
幕末の漂流と開国と海軍
近代海軍の軍人たち

の4章に分けて、海と関わってきた日本人を描いています。
現代よりはるかに危険だった海に、様々な形で乗り出していった日本人たちの勇気と人間模様が興味深いです。

陸半球と水半球
北極点をずらして、フランスのロワール河口のナントあたりとし、同じく南極をニュージーランド南東のアンティポディーズ諸島付近にもってくると、北半球は陸地の多い半球となり、南は水半球となる。

七つの海というのは、太平洋と大西洋をそれぞれ南北に分け、インド洋と北極海南極海を加えた俗称である。

地中海
その出入り口が内部の面積に比して狭いものをいい、2つ以上の大陸に囲まれたものが大地中海、一大陸の内部に湾入した海を小地中海と呼ぶ
ヨーロッパ地中海、紅海、バルト海ペルシャ湾ハドソン湾など
縁海
島や半島などで不完全に大洋の本体から区切られた海
ベーリング海オホーツク海東シナ海日本海など

二度日本を襲来したフビライ、なぜこれほど日本に固執したのか?
フビライは日本を黄金島と信じて、何としても自らの領土に加えたかったのでは?
当時の日宋貿易では、宋銭や宋磁の代価を、日本はすべて砂金で支払っていた。
また黄金の宮殿は中尊寺金色堂の話が、宋の時代に商人などによって中国に伝えられたのでは?
宋を併呑したフビライがそうした話がもとになって作られた黄金島伝説に興味を持ち、日本征服に夢中になったとしても不思議ではない。

十九世紀にヨーロッパで作られた世界地図に、唯一日本人の名を冠した地名が記されている。
間宮海峡」である。
間宮林蔵は、十九世紀の初頭樺太を探検し、そこが韃靼大陸(シベリア・満州)とは海峡を隔てた大きな島であることを確認した。
さらには林蔵は韃靼に渡り、黒龍江(アムール川)の下流域を探検した。

ジョン万次郎が漂流した頃は、アメリ捕鯨の黄金時代であった。
鯨油、ことにマッコウクジラの油は、捕鯨業者に莫大な富をもたらした。
だが間もなくアメリカの捕鯨ブームは終わりを告げる。
1859年、ペンシルベニアで油田が発見されたからだ。