ランボーの「居酒屋みどり」で、の背景

アルチュール・ランボーは1870年10月7日、シャルルヴィルを出奔し、フュメまで列車で行き、ヴィルーからジヴェを通って、シャルルロワに乗り込んでジャーナリストになるという計画をたてた。
シャルルロワのコレージュ通り20番地にある町の新聞社では、ジュール・デ・ゼッサールがランボーの訪問に驚いたものの、上院議員である自分の父親に紹介した。
その議員はランボーの話を聞いていたが、フランスの政治家たちに浴びせかける誹謗とにやがて耐えきれなくなり、翌日返答すると約束して丁寧に彼を追い払った。
翌日ランボーが新聞社の編集部に出向いてみると、協力者は必要ないと知らされた。
その後何をなすべきか判然としないまま、ランボーはなお数日シャルルロワを彷徨して過ごしたようだ。
その時の経験から、「居酒屋みどり」で、が書かれた。

みどり軒(居酒屋みどり)は、正確には「みどり館」は、正面と言わず内壁、家具に至るまでことごとく緑色に塗られた宿屋だった。
(この詩や)「いたずら娘」という別のソネットランボーが喚起しているのは、この豊満なフラマン女性のミア、今なお幾人かの老人の記憶に痕を留めている、のことなのだろうか。

(ピエール・プチフィス 著、中安ちか子・湯浅博雄 訳 アルチュール・ランボーを参考にしました)