播磨文学紀行 より 宮本百合子の「播州平野」



イメージ 1



イメージ 2

白鷺城の濠について人通りのない雨の道を舊(きゅう)城下町へ入って行った。白鷺城は、遠めに見る天守閣の姿が空に浮き立って美しく往復の汽車から眺めて通るひろ子の目にのこった。古い濠の水は青みどろに覆はれていた。濠端の古い柳が、しづかに雨にもまれてゐる。一つの橋をわたった。河に添った横通りの方に水が出てゐて、女が番傘をさし、高く裾をかかげてザブ、ザブあちら向きに通ってゆく。一行は、水の出てゐない方の通りを真直ぐにゆき、二つばかり角を折れて、狭い通りにある一軒のしもたやの土間に入った。

播州平野」において、宮本百合子の分身であるひろ子は姫路の「しもたや」に二泊する。
それは昭和20年10月10日だった。
昭和29年秋、一人の新聞記者が、岡町19番地の小さな商人宿「まつや」を発見する。
そこが作中通りの宿だった。
現在では、その商人宿はありませんが、そのそばの城の西公民館前に、画像のような文学碑が残されています。