進化する戦国史 渡邊大門 著

イメージ 1

進化する戦国史
渡邊大門 著
洋泉者 発行
2016年4月25日 初版発行

渡邊さんの本は以前にも読ませていただきましたが、常に一次史料を意識しながら歴史の謎を解明する姿に、当たり前とはいえ好感が持てます。

一次史料は同時代に発給された古文書あるいは日記、金石文などを指す。
二次史料は系図、家譜、軍記物語など後世になって編纂された物

これは二次史料だが、一次史料と照合しても正確な面が多い。そうした理由から二次史料だが信用されている。
信長公記と名前がよく似た、小瀬甫庵の手による「信長記
基本的に儒教の影響を受けており、意図的な改ざんや虚構を記すなど問題が多い史料とされる。
甫庵は、牛一の信長公記に対し、「愚にして直」つまり真面目に事実だけ述べる姿勢に対し批判的な見方をしている。
甫庵信長記は、一種の流行小説のようなものだったのかもしれない。

信長公記は信長に好意的な面が多いが、ポルトガルの宣教師であるルイス・フロイスによる「日本史」はやや微妙なところがある。

石田三成派の加藤清正黒田長政ら七将は、三成の屋敷を襲撃した。襲撃を事前に知った三成は、意外にも徳川家康の屋敷に入り難を逃れたという話がある。
ところが実際には三成は自身の伏見屋敷に逃げ込んだことが明らかになっている。
あえて敵対する家康の屋敷に飛び込んだというドラマティックな話は、現代では否定されている
大河ドラマで、「軍師官兵衛」では家康の下に逃げ込んでいたと思いますが、今年の「真田丸」ではそうでなかったですね。)

関が原の戦いにおいて、小早川秀秋が「問鉄砲」により西軍を裏切った、となっていたが、白峰旬氏により、開戦時から東軍に属し、最初から西軍に攻め入った事実を明らかにした。同時に「問鉄砲」は近世の編纂物による創作だと指摘している。

真田信繁の生涯は、残った良質な史料が意外なほど乏しい。
明治・大正の子供向け文庫である「立川文庫」などで著しく脚色され、映画やドラマで著しく広まった。
信繁の大阪冬の陣、夏の陣においての戦いぶりは、二次史料によるしかない。
しかし薩摩藩主の島津家久書状に「真田日本一の兵」と書かれたり、「言緒卿記」にも信繁の活躍が記録されたほどだった。
江戸時代の敗者に対する温かい眼差しにより、信繁の活躍を特筆させた面もある。
一次史料における信繁は15点ほどであり、いずれも関が原戦後、九度山に蟄居後のものである。