ノートル=ダム・ド・パリ(上) ユゴー作(岩波文庫)

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ユゴー 作
松下和則 他 訳
2016年5月17日 第1刷発行

作者がノートル=ダム大聖堂を探りまわったとき、塔の暗い片隅の壁に「宿命」という意味のギリシャ語を発見する。
この物語はあの不思議な言葉から生まれた。

昔からある記念建造物をもまた大切に保存していこうではないか。
できれば、民族生粋の建築を愛する精神を、フランス国民の胸に吹き込もうではないか。これこそ、この本を書いた主な一つの目的であり、一生の主な目的の一つでもあるのだ。

1482年1月6日、パリの御公現の祝日とらんちき祭りが重なり合う日、からこの物語は始まる。

第1編、第2編では、ピエール・グランゴワールという詩人・劇作家の動きが中心となる。
そしてカジモドやエスメラルダのような主人公たちと共に、権力者から下層階級の人々まで様々なパリ市民が活き活きと描かれる。

ノートル=ダムなどのフランスの中世の素晴らしい芸術が受けた破壊にには三種類の原因による損傷がある。
第一は「時」
第二は政治上や宗教上の革命
第三はますますグロテスクに、おろかになってきた流行

パリのような都市は果てしもなく成長するものである。
一国の首都となるには、こうしたたくましい都市だけなのだ。
それは、一国のあらゆる地理的、政治的、道徳的、知的傾向や、一国民のあらゆる自然的傾向がそこに集中している、漏斗のようなものだ。

(パリの)中の島は、セーヌの真ん中で泥の中に突っ込み、流れの途中で座礁した大きな船といった格好をしている。

15世紀のパリは、ただ美しい都市というだけではなかった。
パリは混じり物のない都市であり、中世の建築術と歴史の産物であり、石で出来た年代記だった。
それはロマネスク層とゴチック層という二つの層だけからできている街であった。
ローマ層はユリアヌスの浴場だけが頭を出しており
ケルト層は深く埋没してしまっていたのである。

大祭日の朝、パリ全市を人目で見渡せるような、どこか高いところにのぼって、暁の鐘声に耳を傾けてみられることをお勧めする。
空からの合図で、パリじゅうの無数の教会が、鳴り始める鐘の音にいっせいに身震いするのをご覧になるがよい。
(・・・・・)
この鐘の音はパリの歌声なのである。だから、この鐘楼たち総奏に耳をかして頂きたい。
そして50万の市民のつぶやきや
セーヌの流れの永遠の嘆きや
やむことのない風の息吹や
地平の4つの丘の上に巨大なオルガン箱のように据えられた4つの森の荘重で、はるかな四部合奏などをこのオーケストラの上にちりばめてみていただきたい。
(現代では、このような音は難しそう)

「これがあれを滅ぼすであろう」
印刷術が建築術を滅ぼすであろう、という意味
グーテンベルグが現れるまでは、建築が思想を記録するための一番重要で一般的な手段だった。

姉に当たるヒンドスタン建築、エジプト建築、ロマネスク建築はいずれも同じような象徴が見られるであろう。
つまり神聖政治、階級制、統一、教義、神話、神
妹に当たるフェニキア建築、ギリシャ建築、ゴチック建築にはまた共通した意味
つまり自由、民衆、人間性

建築が他の芸術並みの芸術としてしか取り扱われなくなったとき以来、建築は他のいろいろな芸術を手元に引き止めておく力をもう持たなくなってしまった。
教会彫刻は彫像術に
宗教画は絵画に
典文(ミサ中の聖体への祈り)は音楽に進化した。
ラファエッロ、ミケランジェロなどの燦爛たる、16世紀を飾った大天才の出現は、こうしたことから説明される。

(傷ついたパリを目の当りにさせられている現代に、このような中世の凝縮したパリ、そして更にその中心のノートルダム大聖堂を舞台にした物語を読むのは意義深いものがあります)