文明の生態史観 梅棹忠夫 著

文明の生態史観
中公文庫
1974年9月10日 初版発行
2013年9月5日 改版11刷発行

インドで道標にヒンディー語しか使われていなかったときの梅棹さん。
目の前で窓がぴしゃりと閉められたような絶望的な感じ。
日本でも日本語だけで、英語の標識がなかったとき、外国人も同じ疎外感を感じているのではないか
文字記号の違いのもたらす絶望感は深い

インドは東洋でも西洋でもない
インドは「中洋」
東洋西洋という東西の比較だけで世界を割り切るのではなく、中洋も勘定に入れなければならない

旧世界をバッサリ二つの地域に分ける
旧世界を横長の長円にたとえると
第一地域はその東と西の端に
第二地域はあとの全ての部分
日本と西ヨーロッパが第一地域 生活様式が高度の近代文明
第二地域はそうではない
第一地域は封建体制があり、それがブルジョワを養成した。そして革命によってブルジョワが実質的な力を得た
第二地域は資本主義体制は未成熟。革命によって独裁体制になる。その前は専制君主制か植民地体制
ツァーのロシア、清朝ムガル帝国、スルタンのトルコなど

共同体の生活様式の変化
生態学でいうところの遷移(サクセション)
サクセション理論が、動物・植物の自然共同体の歴史をある程度法則的につかむことに成功したように、人間共同体の歴史もまたサクセション理論をモデルにとることで、ある程度は法則的につかめるようにならないだろうか。

第二地域の歴史はだいたいにおいて破壊と征服の歴史
建設と破壊の繰り返し
第一地域は、そういった破壊と攻撃をまぬがれた地域だった。
ドイツ騎士団は東プロイセンにチンギス汗、フラグ汗の軍隊を迎え撃ち、日本武士団は北九州にクビライ汗の軍隊を破る

日本人は個人の自覚が乏しい民族であるというが、世界的にみてはどうか
むしろ反対に、かなり個人主義的傾向の強い民族ではないか
封建制度と言うものは、もともと個人の自覚的活動の上に建設された制度であり、またある程度自由な活躍を許した制度でもある。
古代的専制の面影を残す諸帝国軍の地域では、個人はいっそう没個性的である。

模式図で、日本の西ヨーロッパのように、向きは違うが対応する地点が出てくる
東ヨーロッパと東南アジアがそうである
どちらも小国の集合で、言語・民族・宗教も様々な地域である。
歴史的にも繰り返し進入を受け、近世ではたいていよその国の属領だった
どちらも大文明圏にはさまれた一種の中間地帯で、ある種の文明史的不安定さを持っているのではないか

東南アジアにおいては、料理屋ばかりでなく、経済界全体を華僑が握っているようなものである。
しかし中洋にはなぜ及んでいないのだろうか?
インドではインド人自身が古代以来の天成の商業民族である
民衆レベルにおいても、華僑とイン僑というライバル関係が昔から成り立っていたのである。