ボルジア家風雲録 下 智将チェーザレの激闘

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ボルジア家風雲録 下
智将チェーザレの激闘
吉田良子 訳
2013年8月15日 第一刷発行
 
下巻では、フィレンツェに神聖政治をしいたサヴァナローラとアレッサンドロ6世との争いからはじまる。
ローマからのリモートコントロール及び、フィレンツェでの内紛で敗れるサヴォナローラ
各地の政敵を滅ぼし、好き放題する教皇チェーザレ。もちろん物語なので誇張されたものの多い
 
そんな権力の絶頂のさなか、敵に飲ませるはずだった毒薬を教皇チェーザレ共に飲んでしまい、教皇は死亡、チェーザレの重い後遺症に苦しめられる。
(塩野先生の本では、毒薬ではなく、マラリアあたりの病気ではなかったか、とのこと)
その後転落の一途をたどるチェーザレ。今まで自分が裏切ってきたように、ユリウス二世らに裏切られる。
そして囚われの身となる。なんとか逃げ出すものの、最期は闘いで殺される。この小説では腹心の部下ミケロットがチェーザレの遺体を発見し、最後の忠義の証とする。
その一方妹のルクレツィアは領民には女王と崇められ、名誉にあふれた長い年月を過ごした。
 
エピローグとして、ボッカチオによるユダヤ教徒の話。
キリスト教への改宗を勧められたユダヤ教徒。しかしローマに行って教皇たちの姿を見てから決めたいと。
ローマでヴァチカンの堕落を目の当りにするが、キリスト教は日ごとに勢いを増している。それは聖霊そのものがキリスト教を唯一の正しく聖なるものとして守っている証ではないかと。
そしてキリスト教に改宗し、立派な人生を終えた。
この逸話で、この小説の意図を取り違えて、不信心だと非難する人々に対する答えとしているデュマ
 
訳者あとがき
デュマの生きた19世紀は、ボルジアに対して負のイメージが大きかったはず。
しかし本書を読む限りでは、単なる悪人とみなさず、敬意と愛着もあるように感じる。
 
解説より
この小説は、1931年3月にボルジア家罪悪史として翻訳されている。
訳者はなんと横溝正史だが、名義貸しであった可能性も否めない
その序文では
「デュマは秘事的な興味よりも、一つの大きな歴史的小説として、この題材を料理している。法王の一挙一動のもとに、南欧州国がいかに動いていくか、読者はそれをパノラマのように瞰下することができるだろう」
とあり