播磨灘物語(上) 司馬遼太郎 著

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講談社 発行
昭和53年4月20日 第27刷
 
今年の大河ドラマ軍師官兵衛」を一生懸命見ております。
大河ドラマしっかり見るのは、これがはじめてですね。やはりこの時代は面白いです。
この播磨灘物語が、今回の作品の一番の参考書になっているのかな、と勝手に思っております。
もちろん内容が異なるところも多いですが、今までの場面を思い出しながら読み進めているのが楽しいです。
 
日本に初めてキリスト教をもたらしたのは、イエズス会の神父フランシスコ・ザビエルだったが、それが薩摩に上陸したのは、官兵衛が生まれて三年後だった。
ちなみに官兵衛が生まれた年に、新教の祖マルティン・ルーテル(ルター)が死んでいる。
この時代はローマ・カトリックにとって何度目かの重大な危機であったが、その中で結成されたのがイエズス会である。彼らは生涯貧であることの誓いをたて、更には純潔と従順を誓いとした。
当時の日本人は仏教僧の堕落を見慣れていただけに、彼の殉教的人格に接し、目の醒める様な思いを持ったのも無理はなかった。
また信長のような、頭から神仏を信じない壮烈な無神論者が神仏以上の力を持ってこれに大鉄槌(比叡山の焼き討ち)を加えざるえないのである。
 
官兵衛にとって、何万里の波濤のかなたの異質文明に対する想像を凝縮したものがキリシタンだった。
 
官兵衛の考えでは、武士には中間はない。源平のいずれかに属して旗幟を鮮明にしなくてはならない。中間的な存在というのはもしありえても双方から叩かれて結局は滅ばざるを得ない。
(この点、マキャヴェッリ君主論にも同じようなことが書いてあったと思う)
 
官兵衛と合い並び、似たものでもあった竹中半兵衛
半兵衛の関心は戦術だけである。欲望を切り離して戦術というのは、もはや文化現象であるといっていい。
こういう男が出てきたこと自体、戦国乱世ということが、ただ単に欲望が群がり衝突する世界というのではなく、欲望が蒸留されて一個の文化現象のようなものが出始めていることを証拠立てているかもしれない。