エラスムス「痴愚神礼讃」 ラテン語原典訳

この「痴愚神礼賛」は1511年にパリの書店から刊行されるや爆発的人気となり、1800部がたちまち売り切れとなるベストセラーとなった。
 
古来ヨーロッパには、アリストパネスに始まりスフィフトに至る偉大な諷刺文学の系譜があった。
また一方で「阿呆船」の作者ブラントやセルバンテスの作品に代表される「阿呆の文学」とでも言うべき系譜があった。
エラスムスのこの作品はその両方の流れから出てきたものである。
 
エラスムスが、卓抜な人間観察と人間の愚かさへの痛烈な諷刺を本領とするこの作品を書く上で、多くを学び、モデルとしたのは、2世紀のローマ帝国に生きたシリア人ルキアノスであった。
 
この作品はギリシャ・ローマ文学に冠する博大な知識を踏まえて下敷きにして書いている。その中でもルキアノスホラティウスによるところが最も大きい。
 
この作品の形式は中世以来の修辞学の一分野である「デクラマティオ」(修辞学で学ぶ練習弁論のこと)のパロディという形をとっている。
聴衆を前に痴愚女神が演台に向かって登場し、弁舌をふるい、退場の挨拶をもって終わる。
エラスムスはこの女神の口を借りて、人間というものの愚かさを衝いている。
特にスコラ哲学、神学者への批判は、ルネサンス時代の人文学者に共通して見られる態度だった。
そして高位聖職者と教皇に対する諷刺と揶揄で佳境に入る。
 
この作品の原典であるラテン語からの訳は、某有名大学の出版会より2004年に出版されている。しかしそれを読んだ沓掛氏は、その誤訳の多さに唖然とし、自分が改めてラテン語の原典を翻訳してみようという気にさせられた、とのこと。
(翻訳、特にラテン語からとなると、さぞ難しいのでしょうね)