危機の二十年 1919-1939

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危機の二十年 1919-1939
E.H.カー 著
井上茂 訳
1996年1月16日 第1刷発行
 
ユートピアとリアリティの対立は
理論と実際との対立で
急進と保守
左派と右派 となる。そして
左は主に知識人や理論家で
右は官僚や事務家 となる
右は理論に弱く着想に不得手で
左は理論を実際にうつす力がない
左はこの力不足を官僚攻撃の理由にしがちだが、これはそのユートピア的性格に固有のものだった。
左は理性 右は知性
左派が知的優位に立つ。しかし実地の経験に事欠く。1919年の大英帝国ではわずかな期間しか政権の中になかった。
右派はその反対に野にあった期間は短く、実際の不備を理論で補わざる機会はほとんどなかった。
どの社会の歴史も示すように
「左」の政党も政治家も、政権の座に就くことによって現実に接するようになると「理論一本やりの」ユートピアニズムを捨てて「右」傾化していく。
しかし今までの「左」のラベルはつけたままでいるので、政治用語の混乱をまねく。
 
(はじめてこの部分を読んだ時、ちょうど日本の村山政権の時を思い出した。社会党でありながら、政権に就くと一気に右傾化してしまった。今の日本の民主党政権でも、鳩山・菅政権の失敗ののち、野田政権が民主党政権の性質を変えつつある。
最後の政治用語の混乱を招く例としては、今のギリシャの選挙での政党を思い出す。やたら左っぽい名前は多いが、政権を担う責任は乏しいように思える。
あとフランスのオランド政権がどういう道を歩むのか気になる。)
 
古代ギリシャの時は「正義とは強者の権利」という言葉があったが、
ローマ帝国、そしてカソリックの教会の時代は、政治的な善と道徳的な善が一致するとみなされてきた。
しかし中世期体制の崩壊とともに、衝突するようになった。
その食い違いがマキアヴェルリの時代に現われる。
彼の信条はリアリスト哲学の礎である。
・歴史は原因と結果との連続であり、その過程は知的努力によって分析され理解され得るものであり、想定によって方向づけられるものではない
・理論は実際をつくりだすものではなく、実際が理論をつくる
・政治は倫理の機能ではなく、倫理が政治の機能である。人々は「強いられて正直であるようにされている」のである。
 
カソリック教会は、史上に最初の検閲制度と宣伝組織をつくりだした。
中世の教会が最初の全体主義国家だった。
そして宗教改革というのは、意見を支配する教会の力、教会の富、さらに神聖ローマ帝国皇帝の軍事力が教会に与えていた権利などを、ヨーロッパの諸地域で、教会から同時に剥奪した運動だった。