ラヴェル(ジャン・エシュノーズ 著)

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ジャン・エシュノーズ 著
2007年10月19日 発行
 
先日、「題名のない音楽会」を見ていたら、佐渡裕さんが大震災支援のため、「ボレロ」の指揮をしておられた。
個々のソロパートが、震災関連のコンサートでもあり、より一層身にしみてくる。
その後図書館に行ったら、ちょうどこの本があったので、借りて読んだ次第である。
この小説では、ラヴェルの晩年の十年を、それこそ音色のフレーズをたどっていくような筆致で描いている。
前半は、ラヴェルが住んでいたフランスのモンフォール=ラモリー(ここの家は今彼の博物館となっている)からパリ・サンラザール駅、そしてル・アーブルから船に乗ってアメリカに行き、全米コンサート旅行の道筋、そして様々な人間模様が描かれる。
 
無事アメリカ公演に成功し、フランスに戻ってから彼の様々なエピソードを挟んで、死の床につくまでが描かれる。
その中ではやはり個人的にはボレロの誕生秘話が面白い。
もともとラヴェルは工場を見学したり工業地帯を眺めるのが好きだった。
ベルギーやラインラントを通った時、街の煙突はハリネズミのとげのように屹立し、時に赤黒く時に青い煙や炎を吐く大伽藍、鋳鉄の城、白熱した大聖堂、そしてベルトや笛、ハンマー音の奏でる交響曲が赤く映えた空に響いていた。
ボレロ」自体は、好きでよく見に行くヴェジネ近くの町工場がインスピレーションのもとになったという。
最初彼が「ボレロ」自体に感じたことは、その曲はひとりでに壊れていくものであり、音楽のない楽譜、製品なしのオーケストラ工場であり、音の拡大だけを使った自殺行為だ。それでもダンスに合わせるのだけが目的で、照明と舞台美術があってはじめてこのくどいフレーズも聴ける代物になるんだ、とまで思っていたようだ。
しかし彼の希望のないオブジェ、悲観的なプロジェクトは予想に反して、一般にも受け入れられ、その後国境を越え長い間聴かれ、ついには世界で知られたリフレインの一つになった。
そして自分の代表作は何かと聞かれたら、ラヴェルボレロですねとすぐさまこたえる。ただし、残念なことに、あれには音楽が欠如していますが、というフレーズを付け加えて。