1177年 パリ 20歳の静かなる熱情①

アレクサンダー・ネッカムは1157年、ロンドンの北西の町に生まれた。
彼は20歳のころ、パリに遊学する。
ロンドンから、テムズ河に沿って馬でカンタベリーに行き、1170.年に殉教したベケットの墓に参り、小型容器に入ったお守り用の聖水を買う。
ドーヴァーの浅い港に入っている沢山の船。
ネッカムにとって初めての海だが幸い波も穏やか、風も順風で、13時間で対岸のブローニュにつく。
大陸に着き、買った馬でモントルイユ、コルビーと通る道は森が美しく、畑もよく耕されている。
4日目の午後、ネッカムの一行は、人馬・車両の行きかいに、いままでと違った空気を感じる。
サンドニに来たのだ。
ネッカムの時代には、ここの教会は初期ゴシック風の堂々たる寺院になろうとしていた。
ここからパリに入るとき、パリに向かって右側に、モンマルトルの丘が見える。
12世紀ではここはまだまだ田舎であった。
ここからパリに向かって、地形は少しずつ下りになっているので、中世の旅行者はかならずこのあたりでたちどまり、初めてみるパリを眺めるのが常であった。
サンドニが殉教した場所の礼拝堂からセーヌ右岸までは、またしても畑とブドウ畑の連続であった。
この田園のつきるところ、ゆるやかに蛇行するセーヌの中州に、中世のパリがあった。
ロンドンよりさらに大きいパリは、ネッカムにとって一層の驚きだっただろう。
12世紀後半には、パリの人口すでに25000を越え、川中島シテ島だけでは足りず、その両岸に伸びていた。
右岸には木柵で囲われた地があり、その外部にも人家はあふれている。
あと10年くらいたつと、中央のシテ島を直径とする円形の石造城壁が、フィリップ二世によって造られることとなる。
この右岸はすでに重要な商業区で、このあたりで積み荷を降ろす船も多かったからである。
その木柵地内のボードワイエ門に近いサン・ジェルヴェイ教会の宿坊で、ネッカムはパリ第一夜の夢をむすぶこととなる・・・。
 
(大世界史 7 から引用しています)