フランス 四季と愛の詩

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フランス四季と愛の詩
饗庭孝男 編/訳
東京書籍 発行
1995年12月6日 第1刷発行
 
春・夏・秋・冬・愛、という章に分けて、アポリネールランボーリルケヴェルレーヌの詩を、フランス語原文もつけて紹介している。
特に詩の場合、日本語訳だけではその語感や韻が伝わらないので、原文をつけてくれているのはたいへんありがたい。
 
僕の放浪(ファンテジー
ランボーがベルギーに向けての家出の直後に書かれた詩。
彼の中には未知の海へ船出しようとする少年の夢想がふくれあがっていた。
頼みとするものは「詩神」(ミューズ)だけであった。
「僕の宿は大熊座だ」といっても、この夢想の広大な宇宙を考えれば少しも違和感がない。
しかしこの天衣無縫な生き方も、苛酷な中近東の現実の商取引の中に収斂する。
それは徹底的に地上的であった。
十代の出奔の夢と、その商取引の落差の中にこそランボーの振幅の運命的な大きさがある。
 
(この詩は自分にとっては、シャルルロワでの詩「居酒屋みどり」に次いで好きな詩である。どちらの詩も、開放感を強くうたっており、閉塞的な日々の生活に対しちょっとした逃げ道を与えてくれているようである。
この本では、著者はランボーが詩を捨てた前後の人生を大きな落差と見るが、自分にとっては単に放浪者として一生を貫いただけのように見える。商取引は単に生きていくための手段にすぎなかったと思えてならない。
ランボーの最晩年、片足を切断した後、なおもアフリカへ向けて出発し、結局その途中の港町マルセイユで亡くなったのは象徴的である。)
 
ルイーズ・シャルリ・ラベ(1520.頃~1566)
彼女はリヨンで生まれた。
この時代、リヨンは「イタリアニスム」のフランス移入の中継地であった。
パリよりも16世紀のイタリア文化の力を受け入れやすい土地柄であった。
彼女はそのため、当時の女子教育の場、修道院ではなく、家庭でイタリア的な学問、芸術を自由に学べる環境に育った。