ブルクハルト「イタリア・ルネサンスの文化」

世界の名著 45
ブルクハルト
責任編集 柴田治三郎
発行所 中央公論社
昭和41年12月20日初版発行
 
歴史家ブルクハルト(1818~1897)の作品「イタリア・ルネサンスの文化」をこの巻では扱っている。
14世紀から16世紀までのイタリア人の生活の種種の面において、彼らがどのような考え方、感じ方をしたかを考察することにより、いわゆるイタリア・ルネサンスの特色を、その全貌において描き出そうとした。イタリアの神々に対する、率直な献身だったかもしれない。
 
ブルクハルトはスイスのバーゼルで生まれ、生涯を過ごした。
バーゼルライン河のほとりで、地理的にもドイツ、フランス、スイス三国のほとんど国境に位置し、歴史的な生起を実見する機会も多く、色々な情報があちらこちらから流れてくる街であった。
 
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ラファエッロの絵画「ヘリオドロスの放逐」においても、当時の専制君主の一族、パリオーニ家の乱闘の姿をモチーフにした騎者の姿が描かれている。そして絵画全体のテーマとして、ユリウス二世の外国勢力追い払いの気持ちを伝えている。
 
チェーザレ・ボルジアについて。彼は父の教皇アレクサンデルを孤立させるために、ガンディア公を殺害したとある。またチェーザレ教皇の位を狙っていたともある。そしてボルジア家は毒を用い、ライバルを倒していった。更に教皇アレクサンドルの死と、チェーザレの同時期の体調の異変は、その毒を間違って飲んだため、としている。
(このあたり、塩野七生さんの説とはかなり違っている)
 
1360年ごろに、ファーツィオ・デリ・ウベルティにより書かれた「ディッタモンド」の中に、廃墟の都市ローマに対する感情が描かれる。そこではぼろぼろの衣服をまとった気高い一人の老女が(それがローマそのもの)が、栄光に富む歴史を物語り、七つの丘や廃墟を説明する。「私がどんなに美しかったか、あなたが理解できるように」